難解の一言に尽きる黙示録。人間にとっていちばん苦手な未来のことが大半を占めているからであろう。人間は未来を知ることに弱い。いちばんよく知っているはずの自分のことでさえ、明日のことはわからない。いや、今日一日の自分のことがわからない。どんなところで喜び、どんなところで怒り、何を言ってしまうか、何を考えてしまうか、予測が付かない。神さまは何でも与えてくださる気前のよいお方であるが、未来を知る力だけはくださらなかった。
黙示録に記されている未来の預言は、ただ受け入れ、信じればよいのだ。神さまを信頼すれば、ああ、そうですかと受諾できる。黙示録は神さまへの信頼度を養う最良のワークブックだと思う。今ごろようやくそのように思えるようになったのだが。
今は天に凱旋された偉大な伝道者がこう言われた。
「黙示録を読むと祝福されます。1章3節に『この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである』と書いてありますから」と。
その時から黙示録を読む態度が一変した。朗読すると言う一句から、時に黙読ではなく声を出して読んでみる。ゆっくり朗読してみると、天上の光景などの箇所では、自分なりにシーンを描くことができる。そこにこの世では見られない不思議な明るさと、この世では吹くことのない穏やかな希望の風を感じる。これが祝福の一つかと思う。
この書の著者ヨハネは、このときローマ皇帝の迫害に遭い、地中海にあるパトモスという小さな無人島に流されていた。この書は極度の危険と孤独のどん底で生まれた。
1章9節
『『私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた』