お見舞いに  投稿者 希望の風(掲載日2006年10月)

術後2週間になる教会の姉妹をお見舞いしてきました。彼女はつい先頃、一つの手術をしたのですが、その時の検査で新しい病が見つかって今回の手術に至りました。前回よりずっと大きな病でした。自覚症状がないので検査で発見されなかったら、早期治療とはならなかったとのことです。まだ60歳前で、お元気でバリバリ働いている最中です。

術後の痛みがきついと、いつもはなにがあってもびくともしない彼女が、いささか辛そうにしていたのは心が痛みました。女性は男性に比べてずっと我慢強く、かなりの痛みにも弱音は吐きません。それは世の通念でしょう。その、女性の中でも強者である彼女が痛いというのです。実にお気の毒でした。

この病院は私が過去に3度、命を拾っていただいた大恩ある施設です。今も定期検診に通っています。今日は患者でなく、お見舞い者として訪問しました。道々、同行した姉妹と、お見舞いできることは、お見舞いされるよりどんなに幸いでしょうと話しました。しかし、いつもいつもお見舞いする者でいられるとは限りません。否応なく逆転することもあります。自分の好みで選び取ることはできません。

姉妹は、力のない咳をしながら、心なしか細い声で、今後、検査で何が見つかっても、黙ってそのままにして置く、手術はもうしたくないと言っていました。それは本音なのでしょう。実際はそうはいかないでしょうけれど。
イエス・キリストの癒やしと慰めを祈って分かれました。

このところ教会ではまた病気の方が続出しています。明日、73歳になる姉妹が、築地のがんセンターに緊急入院します。一日おいてすぐに手術です。しかしご本人はいたって元気です。イエス・キリストの信仰に堅く立っています。大きな声で、平安があります、お祈りくださいと言っていました。手術の成功と術後の回復を祈っていくつもりです。

『神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
それゆえわれらは恐れない。
万軍の主はわれらとともにおられる』詩篇46篇より

2025年10月03日