急速に介護を必要とするようになった母を案じて、多くの方々が日々の様子を問うてくださいます。皆さん、母の救いを喜んでくださるとともに、日々体調が守られるように祈ってくださっており、私もたいへん励まされ力づけられています。
一事は日がな一日ベッドに伏せっていましたが、8月になると椅子に腰をかけている時間も出てきました。テレビのスイッチを入れることもありました。ただし、体力は歴然と減退しています。筋肉が落ちていくのは驚くほどです。全体的に小さくなっているのは、日々いっしょにいる私の目にも明らかです。
体重を量ってみました。独り立ちできないので、正確ではないのですが、10キロ近く落ちていたのにはびっくりしました。食も細くなってはいますが、三度三度きっちりとそこそこの量をいただきますから、それだけが原因ではないのでしょう。
これが老化の実体なのかと思うと胸がきりきりとしてきます。今までできたことがどんどのできなくなっていきます。すさまじい現象です。それを目の前に見ているせいでしょうか、私の心はどうもがいても晴れ晴れとはしません。うっすらと灰色の雲におおわれているようです。
「わたし、鬱かな」と娘に言ってしまいました。一蹴されてしまいましたが。
母はこのところ2日に一度は転倒します。支えているのにあっという間にくずおれてしまうのです。よく注意してみると、膝がガクガクしていました。ですから足元にも力が入らず、倒れるのでしょう。倒れて骨折するとはよく聞く話ですが、そうなりかねません。
この先どうなってしまうのだろう。その時はどんな対応をしたらいいのだろうと、考えるとまたまた私の心は曇り空です。就寝前に母のベッドのそばで讃美歌を歌い、お祈りをするのですが、心身疲れ果て、できない日もあります。弱いなあと思います。体は弱くても信仰だけは強くあって欲しいのにと、我身のふがいなさに情けなくなります。
そうです、主を見上げなければいけません。希望から目をそらせたら、海の底に沈むだけです。あの時のペテロのように。闇夜の海上を難なく歩くイエス様を見つめ、差し出された御手にすがればいいのです。ようやくそこまで思いが導かれたとき、雲が割れて光が差してきました。
『私の助けはどこから来るのだろうか。私の助けは天地を造られた主から来る』詩篇121篇1節