57年前の9月1日 その1
いよいよ2学期がスタートした。昨日とはうってかわって曇天。しばらくすると土砂降りとなった。孫のS君はすっかりし終えた宿題を抱えて、元気いっぱい登校していった。昨夕は床屋さんで髪も整えてきた。都会っ子に似合わず真っ黒に日焼けして、この一夏でたくましくなった。すっかり少年である。おばばのひいき目による感想であるが。
9月1日は何年経っても忘れられない思い出の日である。と言っても大震災ではない。それは父の体験である。私の9月1日は昭和24年である。孫と同じ3年生の2学期の初日は、私にとっては転校生としての初日でもあった。夏休みの間に母の郷里から引き上げてきて、(終戦と同時に私たち家族は母の里へ身を寄せていた)再び東京での生活を始めた。
東京大空襲に遭った下町は一面焼け野が原であった。その一隅に、父はマッチ箱のような家を建てた。屋根に瓦もなく壁もなかった。周辺にはそんな家が多かった。バラック建てというのだそうだ。とにかく家族がいっしょ暮らせて雨露をしのげればいい、少しづつ、整備していこうとのことだったらしい。
ところが、その雨露がしのげなかったのである。8月31日、キテイと名付けられた台風が東京湾から上陸した。こんな情報はなかったのではないか。我が家にはラジオすらなかった。勢いのよい南東の強風に、平屋のバラックはひとたまりもなかった。家ごと後ずさりて、横倒しになってしまった。引っ越ししてきてわずか半月であった。(続く)
57年前の9月1日 その2
東京に来てわずか半月、明日は新しい学校に行くという8月31日の夜のことであった。夕方から真っ黒な雲が大きな鳥が飛ぶように空一面を走った。次第に雨風が強くなった。私は初めて怖いと思った。それまでも、太平洋に面する漁村にいたので、暴風雨にも遭っていたであろうが、恐怖心は記憶には残っていない。住んでいた家ががっしりしていたのか、怖いと感ずるには私が幼すぎたのかわからない。
風と雨は何時間も続いた。電気がまっさきに消えた。真っ暗闇の中で風のうなり声だけが響き渡った。私は夢中で「だれか、助けてー」「助けてくださいー」と叫び続けた。父も母もいるのに、そう叫んでいた。そのうちに「神さまー、助けてくださいー」と、神さまを呼んだ。どうして神さまなのか、それもわからない。神さまーと呼ぶと、ちょっと安心した。また風の揺さぶりが来る。そのたびに大声を上げた。父も母もやめなさいとは言わなかった。きっと同じように恐ろしかったのであろう。
私たちは傾いた家から土間におり、家の陰にいたようだった。ところが裸足の足元に水に寄せてきて増していった。父も母も「堤防が切れたんだ、大水だ」とわかったようだ。どこまで水が増えるかわからない、このままでいたら流されてしまう。そう思ったのだろう、数軒先のしっかりした家を訪ねた。その家の人はすぐに私たちを迎え入れてくださった。その後のことは覚えていない。翌日、どうやって身なりを整えて学校へ行ったのか、全く覚えていない。
次の私の記憶は鮮やかだ。9月1日は真っ青な空の下にぎらぎらと日が照りつけていた。始めての学校の校庭に、全学年が勢揃いしている朝礼の時のことである。(続く)