今ごろの子どもたちの、小学校低学年くらいまでですが、学校を終えてから夕食までの数時間の過ごし方と親の係わり方にたいへん驚いています。
子どもたちが遊び場である公園から消えて久しくなります。塾やお稽古ごとに通うのはもう当たり前、珍しくもなくなりましたが、以前と違うところがあるのです。
10年くらい前は、補習の塾は自宅近辺へひとりであるいは友人たちと出かけていました。(当時、私の勉強室はほとんど地域の子たちでした)母親など家族に付き添われることはありませんでした。進学塾へいく子も、ひとりで電車に乗り、夜の9時、10時になってもひとりで帰宅していました。
ところが、最近は家族が送迎するのです。車や電車を使って。 ある時、名のある進学塾の前を通りましたら、お母さん方が入り口にあふれるように並んでいました。授業が終わるのを待っているというのです。びっくりしました。
遊ぶときの状況はさらに驚きです。子どもたちは学校で友だちと遊びの約束をします。どこどこの公園で、あるいは誰々の家でと。今も昔も変わりません。
ところがここからが違うところです。子どもから遊びの約束を聞いた母親は(母親が在宅の場合です。共働きのご家庭の子は、放課後、近くの学童保育施設へ直行します)。約束した子どもの家に連絡して、親同士で場所や時間を確かめ合い、そこまで送っていき、また時間が来ると迎えに行きます。公園で遊ぶときは、用心のために親たちが近くから交代で見張っています。
恐ろしい事件が次々と起きてからは、学校も親もますますぴりぴりして警戒を強めています。
大人たちの配慮も並大抵ではありませんが、今の子どもたちがかわいそう、自由に遊べなくてと思ってしまいます。昔は外が暗くなるまで外を駆け回り遊び回ったものでした。親が心配していたのかどうか、覚えていません。
ところが、子どもたちは大人たちの心配や、世相に吹き荒れる忌まわしい受難の風などなんのその、少しの時間でも作り出して、楽しくおおらかに遊んでいます。それを見るとほっと救われた気持ちになります。
子どもはいつでも遊びの子、風の子です。希望の風の子です。
子どもたちが安心して街を歩ける社会、親たちが神経をとがらせなくてもいい世の中にしたいものです。これは大人たちの責任でしょう。