先ごろ、藤沢周平原作のテレビドラマを観た。
城勤めを定年退職し、隠居の身となった元御用人(上級官僚)を主人公にした時代劇「 三屋清左衛門残日録」である。
時代小説の形式ながら教員3年、業界紙記者17年という作者の長いサラリーマン生活のエッセンスが随所に込められている作品で、同じサラリーマン経験者のわたしにとって共感を持って楽しめる作品だった。
また、タイトルの 「残日録」の由来にも心が留まった。
隠居にかかわる雑事が終わってホッとした途端、思いもしなかった寂寥(せきりょう)感に襲われてしまった(主人公)清左衛門は、隠居を機に日記をつける、日記の名を「
残日録」としたのだ。
すると、長男の嫁が「いま少しおにぎやかなお名前でもよかったのでは・・・」と控え目に批判するのに対して 「なに、心配はない。 『日残リテ昏(く)ルルニ未ダ遠シ』の意味で、残る日を数えようというわけではない」とかわしたのだ。
『日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ』は、原作の中で生まれた台詞で、「太陽は傾いてきたけれど、暮れるにはまだ時間がある」という意味、残りの人生をしっかり生きようという思いが込められているものだった。
はたしてこの台詞は、原作者の積極的な人生観を代弁するとともに、清左衛門自らを奮い立たせる励ましの言葉に変わったのではないだろうか。
なるほど、言葉には力がある。時には誰かの一言が、心の支えとなり、前へ進む勇気を与えてくれる。それは、たった一言でも、一つの文章でも、それが人の心を揺さぶり、時に人生を変えてしまう不思議な力なのだ。
まして、それが神さまの言葉であればなおさらだと思った。