今年2度目、S市にある教会へ礼拝説教奉仕に行ってきました。O聖書学院同窓の友が牧会しておられ、私にもときどき助っ人の声がかかります。開拓してまもない生まれたての教会ですから、なにかと外部の者の手が必要なのでしょう。
教会のかしらはイエス・キリストであり、教会はキリストのからだで、私たちは手足ですから、できるだけのことはしたいと思っています。しかし、自分の所属教会が最優先であり、最も親密な家族としての教会です。よその教会は大切な親戚と考えることにしています。
コロサイ人への手紙3章12節から15節までをテキストに『神の家族としての交わり』について、日頃教えられてきたこと、考えていることを自分の証しも交えて語りました。少しづつお馴染みになってきたお顔ぶれのせいか、わりに楽な気持ちでお話ができるのは幸いなことです。
用意した原稿に目を馳せながらですが、私の心には用意した以上の思いが生まれていました。神さまはこの教会も愛しておられる、この教会の一人一人をこよなく大切にいとしく思っておられることが迫ってきました。
壮大な教会堂とあふれかえるような大勢の信徒を持つ教会も、小さな群れの教会も、都会の教会も、海辺の教会も、山間の教会も、イエス様にとっては一様に、お腹を痛めた子どものようにかわいくてたまらないのだ、なんとかして、健全に順調に成長して欲しいと、涙あふれる親ごころで熱い視線を送っておられるのだと、切々と感じました。
キリストの体である教会への思いをまた深められ強められたひとときでした。
私の教会の今日一日はどうであったろう、先週見えなかったあの友は今日は出席しただろうか、病気の祈りをしていた姉妹は回復しただろうか、また、娘たちが奉仕している教会は守られただろうか、親友たちの教会はどうであったろうかなど、いくつかの教会が思い出されました。
そして自分の周辺にはたくさんの教会と、そこで信仰生活を励む多くの友がいることに大きな喜びを感じました。これはかけがえのない財産です。なんと豊かな環境にいることかと、改めて感謝の祈りをささげました。
コロサイ人への手紙3章12節~15節
『それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです』