汝ら、キリスト・イエスの心を心とせよ  投稿者 希望の風(掲載日2006年7月)

母の体調の様子で、礼拝に出席できるかどうか不安でしたが、神さまは私を強く招いてくださっていました。出がけに多少のハプニングがありましたが、母はいつものように送り出してくれました。

昨日から熱を出している孫娘はさすがに教会へは行けません。パパと家にとどまることになり、娘と孫息子が出かけていきました。娘は教会が仕事場でもありますから、めったなことでは休めません。子どもが具合の悪いときはパパが世話を引き受けます。
今日の礼拝説教は今月の主題『あかしの生活』その2としてピリピ人への手紙2章4節を中心に《イエスさまの心を私たちの心として》と題して語られました。

説教要旨です。
キリスト教は、それぞれの文化や倫理を攻撃し否定するものではなく、それらを遙かに超えた巨大な新しい生き方を生み出すものである。聖書は《さらにまさる道を示す》と言っている。私たちキリスト者はイエス・キリストを見上げて生きる、それがあかしの生活である。具体的には、何事も自己中心や虚栄からしてはならないこと。へりくだって人を自分よりすぐれた者と思うこと。自分のことだけでなく、他の人のことを考えることである。イエス・キリストは、その模範を十字架の死をもって示してくださった。私たちはそのイエスにならうのである。

ピリピ2章4節は、昔の文語訳聖書では『汝ら、キリスト・イエスの心を心とせよ』と訳され、ことあるごとに語られた有名なみことばです。たいへん覚えやすいので、心に刻みつけて信仰の実践に励んだものです。なつかしいみことばのひとつです。

今週は、キリスト者の生き方の原理原則であるキリストにならって、十字架の死に恥じないあかしの生活に励みたいと思います。

ピリピ人への手紙2章6節~8節
『キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです』

2025年07月09日