湖上の突風    投稿者 希望の風(掲載日2006年2月12日(日))

今日は快晴ですが、昨日と比べて7度も気温が低く、真冬なみです。
今日は満月。寒風ですが悠々と冴えた光を放っています。来月は春の朧月夜となるでしょうか。

今日の礼拝メッセージはマルコによる福音書4章35~41節がテキストでした。聖書は次のように記しています。
 
イエス様と弟子たちが、ひとつ舟に乗り込んでガリラヤ湖の向こう岸へ渡る最中に、激しい突風が起り、舟は波をかぶって水でいっぱいになってしまいます。
 あわてふためいて右往左往する弟子たちのかたわらで、イエス様はなんと睡眠を取っておられます。たまりかねた弟子たちが「私たちがおぼれてもかまわないのですか」と詰め寄ります。 

ゆっくりと起きあがったイエス様は、荒れ狂う波風を叱りつけ「黙れ、静まれ」と言われると、その声を聞いたかのように大風が止んで、湖は凪になりました。
 
イエス・キリストの奇跡として有名な箇所です。おことばひとつで嵐を沈めてしまうイエス様ってすばらしいなあと感嘆するところです。波も風も湖も創造したイエス様ですから、このくらいのことは当然かもしれません。神にとって不可能なことはないのですから。
 
そのイエス・キリストが私たちの人生の起る嵐を静められないわけがありません。 
そうなのですが、私たちはこと一大事が起ると、まるで神さまが知らん顔をしているように思え、大きな叫び声をあげ、時には神さまをなじりつつ、早く助けたらどうですかと言わんばかりに騒ぎ立てます。
 
説教の要旨は
私たちが神さまを呼びつけたり、ゆすったり、立ち上がらせたりするのではない。神さまは私たちのロボットや奴隷ではない。神さまは私たちの人生の主である。人生という舟に同乗してくださっている。神さまが行こうと言えばついていく、座ろうと言えば座す。私たちのすることは神の導きに従うことである。神さまが寝ているように思えるときも、信頼して従っていこう。でした。

私の人生の小舟にも、イエス・キリストがいなかったことはありませんでした。昼寝をしておられるのかともどかしくなるときもありました。物事が自分の都合の良いようにならないときはきまってそう思ってしまいます。
 
結局、自己本位なのです。自己最優先なのです。神さまを利用としているのです。卑しいのです。神さまは私をキリストに似たものにするために、最高の品性を与えるために、訓練しておられるのです。

今週も偉大な知恵と愛をもって私の前を行くイエス様に従っていこうと思います。

2025年02月12日