喜びの報と悲しみの報  投稿者 希望の風(掲載日2006年6月12日(月))

係わっている伝道団体で、大きな喜びと大きな悲しみがほとんど時を同じくして起った。慶事はお嬢さんの結婚式が行われたこと、花嫁の母と懇意なのだが、メールで送られてきた写真には、留め袖姿の友人とご主人、もう一人の和服姿のお嬢さん、その間に新郎新婦が世界一幸福そうな笑顔で写っていた。ウエディングドレスが光を放ってまぶしいようであった。

これほどの喜びがあろうか。もちろんここまで来るまでには秘められたドラマがあったことだろうが、無事挙式にまでこぎ着けたことは幸福でなくて何だろう。友人はキリスト信仰に燃えるクリスチャンであり、ご家族だから、イエス・キリストの神に限りない感謝をささげたことであろう。報を受ける私も掛け値なしでおめでとうと喜んだ。

相前後して、地方の男性会員が66歳で一夜にして召天したことを知った。つい2ヶ月ばかり前に電話で話をした。団体にとっても貴重な方であった。天に帰るのには少なくとも20年早いのではないかと、たまらない気持ちになった。

ところが、これもまた驚いたのだが、役員をしている方のご長男が44歳の若さで、急逝したとのこと。未成年のお子様が二人おられる。故人にお会いしたことはないけれど、親しくしている父上の嘆きが直に体に伝わってくる。重くなる心のやり場がなかった。思い出しては一日中ご遺族の悲しみがすこしでも薄らぐように、神さまに慰めを祈り求めた。

夕方、近所に用足しに出た。梅雨だが今日は雨はない。夕方が長くていつまでも明るい。
わざわざ公園の樹木の間を通ってみる。風はないのに、大きな木の下にはなにがしかのそよぎあり、青葉が強くにおっている。大きく息を吐き、深く息を吸った。心の深呼吸を意識しながら。
喜び事には気軽におめでとうと声をかけられるが、悲しみの渦中へは声もだせない。無力を痛感するばかりである。

聖書のことばをくり返す。
『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい』

泣く人とどのようにして泣いたらいいのか。いっしょに泣きなさいとはどうすればいいのか。陰ながらではあるが、寄り添うようにして祈ることしかできない。

2025年06月12日