このカテゴリーには、私の人生に美しい思い出の風を残していった方々や、今も豊かな友情の風を送ってくださる友人たちの人生の一こまを、ご本人の許可を得ながら書いてみます。
SKさんが80歳になると聞いてもだれも本気にしないでしょう。確かに御髪はほとんど白髪ですが、背筋はしなやかにすらりと伸び、身のこなしも実にきびきびとして快いスピードです。特に口調の歯切れのよさは、江戸っ子と言うだけではなく、持ち前のさっぱりした気性の現われでしょう。しかしひとたび詩の朗読などをなさると、プロではないかとハッとするほど情感をこめ抑揚を効かせ、劇場の客席にいるような気にさせるのです。
ほっそりしたお体をほのかに明るい衣服に包んだお姿から、私は聖書にある『聡明で美人』ということばを思い出します。このことばはダビデの妻アビガイルに冠された名句です。全女性かくあるべしと、常々機会のあるごとに小さな声をあげているところです。
もって右生まれた『聡明で美人』では手も足も出ませんが、心がけと努力によって、また、気前の良い神様に願って『聡明で美人』の末席に加わりたいと祈っています。余談。
SKさんは文章の道の大先輩です。ながくキリスト教雑誌のライターをなさって文章力を発揮し、その後その力を買われて取材、編集を任され、数冊の本を出版しています。
しかし彼女の特技は作詞です。作曲家に信頼されて讃美歌の歌詞をいくつも創作し、カンタータの作詞を手がけ、昨年はある新設学校の校歌を作詞し大好評を博しました。
80歳という年齢を私はリアルに想像できません。その年齢がどのくらいの仕事に耐えられるのかわかりませんが、SKさんのお話を伺うとただただ驚くばかりです。それが私にとってはすばらしいカンフル剤なのです。今も、ある音楽家の生涯を書いておられ、気がつくと1時、2時だそうです。秋には神学校で90分の作詞の授業をなさるとか。
SKさんは決して自分の働きを誇るような方ではありません。もし、お話の中にそんな匂いがしたら、私はとうてい聞いてはおられず、尊敬する大先輩として記すことはないでしょう。謙遜なのです。前面に出すのはイエス・キリスト、二番目は周辺の人々、御自分は最後です。そうしたルールをきちっと捕えておられるのが、聡明の証拠です。実に頭脳明晰です。うらやましい限りです。
自分がどのような老人になるのか、どのような姿をお手本にしたらいいのかこれからの大きな課題です。私の周囲には多くのすばらしい先輩がおられるのはうれしいことですし、感謝です死、恵みです。恵みを無駄にしてはならないと言い聞かせています。
SKさんは20年ほど前にご主人を劇的に天に送られました。ご自身は心臓の大きな病を抱えておられます。心臓病に激務は厳禁でしょう。そのこともよくわきまえておられるようです。でもご自分の楽しみのためには節制しても、神さまのお働きの前には骨惜しみしません。潔いその姿勢に、老人の秘めたる気概を感じます。
彼女、電話ですが、小一時間話をしましたら、梅雨の晴れ間の力強い陽に射られたように、2,3日来の鬱屈した気分が消え、SKさん所有の希望の風に包まれました。
ピリピ人への手紙3章13,14節
『ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです』