創世記8章1節・新改訳
神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。
創世記二番目の風はノアの洪水事件に吹いてきます。
この物語はあまりにも有名で、特に教会学校の幼子たちに人気があります。大人だって同じです。ドキドキはらはらの連続ですから。中でも地上のありとあらゆる生き物が続々と箱舟に乗り込み、洪水をもたらす大雨大嵐に耐え、ついに水引いた新天新地に降り立つ様は、世界に二つとない一大スペクタクルドラマです。その箇所を読んだだけで、まるで現場に居合わせてような感動を受け、思わずハレルヤと叫びたくなります。
雨はノア600歳の2月17日から降り始めました。
『巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた』と記されています。
天の水門が開かれたとは何と巧みな表現でしょうか。日本でも梅雨末期には集中豪雨と称して山も家屋も押し流す激しい雨が降ります。夏の終りの台風のもたらす大雨は言うまでもありません。一時的な降り方を「篠突く雨」「土砂降り」と表現することもありますが、『天の水門が開かれた』にはかないません。
その雨がなんと四十日四十夜降り続いたのです。どんなに大規模な洪水を引き起こしたか、想像に難くありません。地上のありとあらゆる被造物は一木一草までも水の腹に飲み込まれて、息のあるものはすべて水の底に沈んで息絶えたのです。
ついに、生きているものといえば、箱舟の中にいるものだけとなりました。
彼らは神さまのご命令に意志的に従った信仰の家族と、あらゆる種類のつがいの生物です。この奇妙な共同体がひとりの人ノアの管理のもとに、四十日四十夜の恐怖に耐えたのです。
あれだけ精巧に作られた箱舟にいるのだから、恐ろしいわけがない、と単純に言い切っていいのかもしれません が、水の上を歩いたペテロが沈みかけたと同じような一瞬の心の揺れがまったくなかったとは思えません。誰彼の例外なく。
船体を蹴破るような強烈な雨脚、どんな野獣よりも不気味な風の怒号、今にも舟を転覆させんばかりに逆巻く波頭、まさに地獄の絵図さながらの様相ではなかったでしょうか。
箱舟の窓は最上層部にしかなかったようですから外を覗こうにもできなかったでしょう。それは返って幸いでした。外の様を一目でも見てしまったら、ひとり残らずパニックになり、精神に障害を起こしたことでしょう。神さまはそこまで見抜いて設計図をお書きになったのです。
ノアは終始冷静だったようです。神さまへの絶対的な信頼がもたらす信仰の落ち着きを身につけていたのです。
ノアの妻はどうだったでしょうか。
夫にとって妻の言動は予想以上に影響力を持つものです。夫は妻次第で善人になり、悪人にもなると言ったら言い過ぎでしょうか。
かつてノアの老妻と題して一文をものしたことがありますが、彼女は、夫ノアが神さまを信頼したのと同じように、夫を信頼しきっていたと思われてなりません。あの、ヨブの妻とは天と地ほどの違いがあったと思うのです。
その根拠になるひとつのことは、三人の息子とその嫁たちがノアの信仰を全面肯定し、箱舟製造に完全協力した背景に彼女の影を見るからです。子どもにとってもまた母親の影響は大きいものです。
母親のちょっとした態度や一言が子どもの言動を左右するのです。
おそらくノアの老妻は
「お父さんの言われること、なさることに間違いはありません。お父さんは言ってみれば神さまのような人ですよ。世の中の人がなんと言おうとも、お父さんは正しいの。さあ、お父さんに従いましょう」と、言ったに違いないのです。
ノアの老妻は聖書の表面でこそ華々しい活躍はしませんが、見えないところで、助け手としての女性の本領を発揮したと思います。それは最初の女性エバが失ってしまった女性の立場を取り戻し、汚名を払拭するに十分だったと思います。
かくして、箱舟の中の秩序は一糸乱れず保たれました。八人の人間たちが信頼と愛の絆でしっかりと結び合わされているのですから、他の生き物たちも自ずと本能が制御されて、閉ざされた不自然な狭い空間での生活にも耐え得たのでしょう。(続く)