人生雑感   投稿者 希望の風(掲載日2006年2月10日(金))

人は何も持たないで生まれ、何も持たないで世を去っていくと聖書は言います。だれもがよく承知しているところです。しかし、人はこの地上でなにがしかの財産(名声、地位も含めて)を築き上げようと熾烈な戦いをします。そのためにこそ生き、死んでいく人もいます。

富を得た人は、お金で買えないものはないと豪語しますが、はたしてそうでしょうか。
ときおり思い出す詩があります。

 《病者の祈り》
大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった

より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた

神の意にそわぬものであるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえれられた
私はあらゆる人のなかでもっとも豊かに祝福されたのだ
  
《ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれ た一患者の詩 山川千秋・穆子『死は終わりではない』                 文芸春秋)から
   日野原重明『道をてらす光』春秋社より》
 
この詩を、心からそのとおりと言える心境を、信仰によって我がものにしたいと祈ります。その信仰とは、私のために天上の位を捨てて、極悪人のように十字架にかかられ、彼らをゆるし給えと祈られた、イエス・キリストを信ずる信仰です。
 
『私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。…それらをちりあくたと思っています』
            ピリピ人への手紙3章7、8節

2025年02月10日