W子さんの話を、私はただじっと聞くだけですが、時に鋭い質問があり、答えなければなりません。その時はたいへんな緊張です。専門家ではないにしても、信頼して私の意見を求めているのがわかります。心ない一言でさらに傷を深くしてしまったらどうしようと思うと身の縮む思いです。もしもおざなりの決まり切った適当な意見だったら見抜かれてしまうでしょう。そして彼女は悲しく心の扉を閉めてしまうでしょう。
しかし未経験で知識もない私が、彼女の苦しみを共感し、共有して、彼女の心を満足させる話をするのは到底不可能です。祈りつつ、祈りつつ、必死で言葉を探すのです。
それでも、神様に助けられて、糸のような細い交わりが続いていきました。症状が落ちついて退院したかと思うとまた入院し、何年も過ぎていきました。
やがて、イエス・キリストの信仰に立って、自分を苦しめた父や母を赦すことができ、ようやく実家に帰り、老人施設のボランティアができるようになったと思ったら、身体に故障が出て、今度は一般病院に入院となってしまいました。そうなると心の方もまたまた悪化し連絡が取れなくなってしまいました。
半年ほど前から独立して一人暮らしを始め、自分の教会へ通うこともできるようになったと手紙が来ました。そして、再会となりました。
彼女の今の悩みは、思うように働けない自分のことでした。苦しみの中から見つけたことは、かつての自分のように病んでいる人の友となり、助けになりたい、そうして、神さまに仕えていきたいと願っているのです。
不思議なことに、すでに彼女の周りには不幸な経験をした方がちらほらと現れ、新しい働きが始まっているのです。そこで彼女は言います。身体的にも能力的にも自分は弱すぎる、たいした働きはできない、そこに葛藤があると。
どこまでも真面目で、気を抜くことができないW子さんはけなげで可憐です。私はほほえましく眺めました。ここまで立ち直った彼女に安心し、かつての緊張を解いて、自然体の私で大いに語り合うことができました。
近い日の再会を願いつつ、別れました。背伸びしないで進んでほしい、むしろ弱さを誇って、キリストとともにゆっくりと歩んでほしいと祈ったことです。(終り)