世相の風から 人の命を奪った『心の底』とは  投稿者 希望の風(掲載日2006年6月26日(月))

『世相の風から』とカテゴリーを設けましたが、振り返ってみて話題にしたのは子どもたちのことばかりです。
どうも私の目は政治やスポーツ界には向いていないようです。といって、いつもいつも子どもへの関心と学びを怠りなくしているかと問われれば、単に野次馬でしかないかもしれません。そんな中途半端なことでは事件を論ずる資格はありません。

ただ、昨今、引きも切らず子ども事件が起こり、その報道を見聞きするたびに、胸が痛み、暗く重いものが心に澱んでいます。

秋田県藤里町の小一生殺害事件と、奈良県の放火による母子焼殺事件についてひどく考えさせられます。容疑者は秋田県は大人、奈良県は高一生、被害者はごく近所の子どもであり、奈良県では家族です。無差別殺人にも激しい憤りを感じますが、こんなに親しかった人を殺害してしまうことには、怒りや憤りの上にさらに何とかならなかったのかと、何かを責めたいような気がしてきます。部外者のいい加減な思いと叱られそうですが。

秋田県県警能代署捜査本部は、容疑者の「心の底」の解明を目指すそうです。接見した弁護士はこの殺意を「衝動の爆発」と表現しています。

一方、奈良県の高校生の場合は、報道の表面だけを見ると、彼の追いつめられた気持ちが理解できるような気がします。そして、もう少し彼に、心の余裕があったらと、残念でたまらなくなります。しかし彼には彼の、処理できない『心の底の闇』があったのでしょう。

人の心の底には何があるのでしょう。人は心の底に何を秘めているのでしょう。かけがえのないいのちを奪い、自分自身の人生をも破壊してしまうほどの狂気が潜んでいるのでしょうか。
『義人はいない、ひとりもいない』と聖書は『心の底』を喝破して断言します。
そして、唯一の解決策を提供しています。
『すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスの贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです』

目を転じて、自分の心の底を見つめたいと思います。時に狂気があるのではないか、闇が隠れているのではないかと。イエス・キリストに探っていただき、贖いの光りを祈り求めます。
犠牲になった貴いいのちを惜しみ、我が子を失ったご両親の苦しみに少しでも心を添わせたいと思います。

2025年06月26日