賢い人になりたい   投稿者 希望の風(掲載日2006年2月5日(日))

礼拝説教から  
今日の礼拝では先週の続きで、マタイによる福音書7章24~29までが開かれました。
説教題は『人生の土台を築く』。世に有名なイエス・キリストの『山上の説教』の締めくくりとなる箇所です

 説教を要約しますと、
イエス・キリストはガリラヤ湖の小高い丘の上で、集まってきた群衆や直弟子たちに向かって一連の教えを説いたが、最後に聴衆に決断を迫った。
説教の聞き方には2種類あるとはっきり分けられ、聞いて行う人を賢い人と呼び、聞いても行わない人を愚かな人と呼んで、その違いを示された。
 
聞いてそのとおりに行う人はしっかりした土台の上に建てた家のようで、激しい嵐(人生の困難艱難)にもびくともしない。しかし聞いても行わない人は、砂のようなもろい土台の上に建てたようなもので、人生の雨風に遭うとひとたまりもなく押し流されてしまう。その違いはこの世のことだけでなく、最後の審判の時、さらに歴然とされる。
愚か者にならないで、賢い人になろう。

キリスト教は啓示の宗教と言われる。人間の側から精進して道を求めるのではない。神の方から近づいてご自分(道)を明らかにしてくださる。人間のすることは信頼して従っていくだけである。

『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです』ヨハ ネ14章6節
『あなたがたは、自分の持っているもっとも聖い信仰の上 に自分自身を築き上げ……なさい』ユダ書20節 
 
聞くことと、それを実行することの間の隔たりは実に大きいものです。天と地ほどの差があるとも言えましょう。
聞いたことを全部そのとおりに実行できたら、神さまもどんなに楽になるでしょう。ところが、そうはいかない、人はいつまでたっても手に負えないわがまま者です。父や母を泣かせる放蕩息子です。

自分を見ますに、今日の朝から今までのわずかな間にもどれほどつまらないことを考え、口に出し、情けない行動をしたことでしょうか。ああ、私は聞くだけの愚かな人間だと痛感するばかりです。
 
しかし、神さまはおそらくそれらをもすべてご承知の上で、賢い人になりなさい。私に従ってくれば賢い人になれるよ、賢い人にしてあげようと、手を差しのべてくださっていると、信じるのです。
 
今週も自己の実体をよくよく知りつつ、赦しと愛のイエス・キリストにすがって、一週間の旅路を続けていきたいものです。

2025年02月05日