今朝は雨の朝。春を呼ぶ雨かと思ったら、かなり冷たく、また冬のコートを着込みました。
今日は2月最後の日曜日。この1ヶ月も神さまに守られ支えられて無事だったことを思い起こし、感謝しながら教会へいそぎました。
礼拝ではマタイによる福音書9章35節~10章1節が開かれました。説教題は『主の収穫、収穫の主』
イエス・キリストは神の国へ人々を入れるための働きを収穫と表現しました。そして収穫のための働き人が送り出されるように祈りなさいと命じ、祈る弟子たちを働きに派遣しました。
イエス・キリストは、畑は色づき、収穫の時期になっているのに働く人が少ないと言われます。イエス・キリストには神を求める人の心が見えるのでしょう。
現代は、宗教には無関心や批判的な人が多く、伝道(布教とも言われます)するのが非常に困難な時代だと言われ、私たちも失望したり嘆くことがあります。
はたして畑は色ずいているのだろうかと、疑ってしまいます。どんなに努力しても(足りないのでしょうが)伝道は遅々として進まず、実を見ることができません。
でも、イエス・キリストのご判断に狂いはないでしょう。
もしかしたら私たちは、まともに畑を見ていないのかもしれません。
自分だけはとっぷりと神の恵みに浸っていながら、そのすばらしさを一番近い家族や友人にすら、十分に伝え、見せていないのです。
怠惰で臆病で自分本意な自己を見せつけられて、恥じ入りました。
働き人が送り出されるように祈るとともに、自分も与えられたエリアの中で働き人としての一端を担っていくべきだと迫られました。