今週は受難週。イエス・キリストの最後の一週間が大きくクックローズアップされる。新約聖書の四つの福音書は、どこもこの記事を丹念に書き込んでいる。この時期、イエス・キリストと係わった人は数え切れない。その後の人生を180度変えられた人もいる。
『百万人の福音誌』2000年イースター号に、特集『キリストの十字架』が企画され、一文を依頼された。私は『復活を見た人々』と題して、ペテロ、イエスの母マリヤ、ローマ人百人隊長の3名を取り上げた。今、その誌を書棚の隅から取り出してたいへん懐かしく繰って見ている。その他、イエス様の十字架を無理矢理担がされたクレネ人シモン、イエス様とともに十字架につけられ、悔い改めて救われた強盗、イエス様に墓所を提供したアリマタヤの富豪ヨセフも忘れられない。
伝説の女性、ベロニカ(ビア・ドロローサ・ゴルゴタへの途上、倒れたイエス様に駆けよってお顔の血と汗を拭いたと言われる女性)では、小さな創作を書いたこともあった。
今年はベタニヤのマリヤに心が傾く。マリヤは受難週の水曜日に当たる日に、翌々日にはイエス様が捕縛されて十字架刑に処せられるとはゆめゆめ知らなかったであろうが、自分の宝物である高価なナルドの香油を一壺丸ごと注ぎかけて、満座を驚かせ、イエス様からはたいへん喜ばれた、受難週の花とも言える女性である。
以前にマリヤについて講義したことがあり、その原稿がそのままあるので、ここに掲載します。
ときは十字架を数日後に控えたある日のベタニヤでの出来事です。ヨハネはこの日を十字架の六日前、エルサレム入場前日と記していますが、他の福音書は受難週の間にはいっています。
覚えておきたいことはこの出来事の数日後にイエス様が十字架にかかったと言うことです。イエス様を取り巻く情勢はかなり緊迫し、危険が迫っていたことは確かです。もっともそれを知っておられたのはイエス様以外にはだれ一人としていませんでした。
イエス様が弟子や村人たちと食事をしている最中でした。突然なにを思ったのかマリヤがつかつかとイエス様のおそばに近寄り、大事そうに抱えてきた壺を割って、中の香油をイエス様に振りかけたのです。香油とはすばらしくよい香りのする油のことです、高価な香水や近頃はやりのアロマオイルをイメージするとよくわかるのではないでしょうか。
マリヤの持っていたナルドの香油、ナルドとはインドの奥、ヒマラヤの山奥に生息するナルドと言う植物の根から採集した油だそうで、当時ローマ帝国では輸入していたそうです。聞いただけでどんなに高価なものかが想像できます。ユダヤの片田舎に住むマリヤがどうしてそのような高価な油を所持していたのか知りませんが、マリヤは裕福な家の娘でもあったのでしょうか。祖母や母の形見であったかも知れません。この日までマリヤは少しも無駄にしないように注意深く大切な大切な宝物として保存していたことでしょう。マリヤがそんな高価な香油をそんなに多量に持っていたなどとは村の人の誰も知らなかったのかも知れません。マルタは姉ですから、もしかしたらマリヤと同じようにあるいはそれ以上の量を持っていたと推察することもできます。
マリヤはその高価な香油の壺を割ってイエス様に注いだのです。計算高い居並ぶ人たちがとっさに見積もったところによると三百デナリに相当するというのです。デナリとは当時のお金の単位です。一デナリが標準的労働者の一日分の賃金だそうです。たとえば一デナリ一万円として三百万円です。二万円とすると六百万円にあたり、これは驚きに値する金額です。そんな高額なものを一度に使ってしまった、いや、流してしまったと言うことです。しかも入っていた壺を割ってですから、あとかたもなく、一滴も残さずにすべてを使い尽くしてしまったということです。容器さえないのです。残ったのは、えもいわれぬ香りの充満です。香りは部屋中にあふれ流れたのです。弟子をはじめ列座の人々が腰を抜かすほど驚いたのも無理からぬことです。
驚いた人々の最初の思いは、マリヤはすばらしいことをした、ではなかったのです。
非難です。なんてことを、もったいない、無駄なことを、もっと他に使い方があるはずだ、三百万円もするものをむざむざと流してしまうなんて、
それでもたりなくて、そこにだれもが納得する一見もっともらしい常識論、道徳論を持ち込みます。
そうだ、むざむざと流すなら、それを売ってお金に換え、貧しい人たちに寄付したらどんなに助かる人がいることか、それを考えないで無駄に流してしまうなんて、と言うことです。そして激しくマリヤを責め立てます。とくに数日後にイエス様を敵方に売り渡すイスカリオテのユダが先頭に立ってマリヤを責めたようです。
彼らの考えももちろん一理ありです。それこそだれも非難できない正当な理論です。
しかし周囲の人たちが考えることをマリヤだって知らないわけがないでしょう。突然他の世界から来たわけではないのです、同じ文化や習慣、常識の中で生きてきたのですから、だれでも考えることはとっくに考えているのです、それをすべて承知でマリヤは壺を割ったのです。
なぜでしょう。マリヤはその理由を一言も言いません。釈明していません。その変わりイエス様がなさっています。イエス様は周囲の人たちと全くちがう視点でマリヤの行為を見、理解しました。そしてそれをマリヤに代わって明確なことばで人々に伝えました。イエス様は言います
『なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。』マタイ26・10~13。マルコには
『この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです』ともあります。
イエス様がおっしゃるのは、マリヤは今この時でしかできないことをした、自分にできる範囲の中で最善、最高のことをした、精一杯のことをしたのだ。わたしがもうじき死ぬので、早々と埋葬の油を塗ってくれたと言うことです。これがイエス様の解釈ですが、いちばん正しいのです。
ところでマリヤはイエス様のおことばにあるように、埋葬のために香油を注いだのでしょう。そこまでは考えていなかったでしょう。そんなことは微塵も思わなかった、思い浮かびもしなかったでしょう。しかしイエス様は一座の前ではっきりとそう言われたのです。そして事実、イエス様は数日後には十字架にかけられるのです。イエス様の遺骸は当然埋葬されるわけです。その時にベタニヤのマリヤが駆けつけて香油を塗ることはありませんでした。他の弟子たちや女性たちが携わりました。
この事実を見ますとイエス様のお体に最初に埋葬用の香油を塗ったのはマリヤと言うことになります。もちろんこの時はイエス様はまだ生きておられましたが、ご自身の意識は十字架に集中しておられたのでしょう。ですからマリヤの香油をそのように受け取られたのです。イエス様はマリヤの香油を単に自分を愛して、自分のためにささげられたその場限りのプレゼントだとは思わなかったのです。神さまの大きな大きな仕事、十字架は神さまの御業の中でも最大級の大仕事です、その十字架にかかわる働きとして受け取りそのために用いてくださったのです。主の御業のため、主の栄光のため、すなわち、救いの働きの一端として用いてくださったのです。これはなんという大きな、巧みな活用法でしょうか。(続きます)