今朝は窓を打つ雨の音で目が覚めました。関東地方は今日から梅雨に入ったとか。平年より一日遅く昨年よりは一日早いそうです。季節の節目を迎えて、今年もそんな時期になったのかと、ある種の感慨が満ちてきます。
ある種の感慨とはあいまいな表現です。感慨の一つを強いて明らかにすれば、ああ、今年も昨年と同じ季節を迎えることができるのだ、今年もここまで生かされてきたのだという、生きていることの手応え、重みでしょうか。過去のいくつかの体験がそう思わせるのです。
子規の句集をめくっていたらこんな句が目に留まりました。
椎の舎(や)の 主(あるじ)病みたり 五月雨(明治32年)
五月雨や 上野の山も 見あきたり
病人に 鯛の見舞いや 五月雨(明治34年)
子規句集より
子規は明治35年に亡くなっていますから、苦闘の病臥を嘗め尽くしたころの作ではないでしょうか。悲壮さがないのは偉人の故でしょうか。
子規と比較するわけではありません。好きな詩人長田弘の詩の一部を書きます。
雨色の時間
雨は雨だけが持つ不思議なちからをもっている。
風景に魔法をかけるちからをもっている。
どんなによく知る風景ですら、雨が降ってくると、周りが全部雨色に染まって、
その雨色のなかに、何もかもが遠のいていって、まったく知らない風景になってゆく。
…
雨の中には慕わしい静かな世界がある。晴天の鎌倉と雨の鎌倉はちがう。晴天の金沢と雨の金沢はちがう。晴天の高知と雨の高知はちがう。
雨の日、時間は、風景の中をゆっくりと流れる。
『人生の特別な一瞬』より
彼らの卓越した感性に刺激されながら、凡人ではあってもひと味う梅雨を過ごしたいと思います。雨も神の創造の傑作です。雨の中にもかそけき希望の風があるはずです。