ルイスはクリスチャン
前回も引用した《序》のなかで、「この本は回心の物語を記そうとするものであり、世にいう自叙伝ではない。ましてアウグスティヌスやルソーの「告白」とも異なる」、「私の幼年時代と少年時代がどのような人たちによって形成されたかを、…知ってもらいたかった」として「わたしは生来、子ども時代の描写が人の興味を引かないような自叙伝は読まないことにしている」とユニークな持論を披瀝している。
自叙伝は、ルイスの誕生から始まっている。最初の行は「1989年の冬、わたしは、ベルファストで下級弁護士と牧師の娘との間に生まれた」と書き出されている。
兄弟は2人で3歳上に兄がいた。ルイスはこの兄とは一心同体と言えるほど親密な仲であった。ルイスは10歳にならない前に母親と死別するのである。
題名の《喜び》とは、未知なるものへの疼くような甘美な憧れのたとえである。喜びのおとずれは直訳すれば《喜びに襲われて》となり、「渇望から発した昂奮」である。幼年時代の喜びを3つのエピソードで記している。「わたしの人生の中心をなす物語はこれ以外にない」として 「それはどんな満足感よりも願わしいものだが、決して満たされることの渇望というものである。わたしはそれを喜び(ジョイ)と呼びたい」としている。
しかし後年、神を信ずるようになると、今までの喜びには関心がなくなってしまう。そのくだりを引用する。
「正直言うとキリスト教信者になってから、わたしはこの主題にほとんど関心を持たなくなってしまった。回心後も、あの昔の刺すようなほろ苦い甘さに襲われることがあったが、昔ほど意味深いものとは思わなくなった」
そして言い切る「わたしたちは聖地エルサレムをめざしているのだから」と。
これはルイス独特の信仰告白であろう。キリストを信じた結果、まったく価値観が変わったことを意味していると思う。ルイスは新しい人になったのである。
回心のドラマは次回にします。