一冊の本の感想を書くのには、再読と熟読が、欠かすことのできない条件かもしれない。そのプロセスを十分に経ないでするのは無謀なことなのだろう。読者の皆様には失礼になるかもしれない。が、本格的な評論ではなく、一読者の私的な感想エッセイとしてゆるしていただきたい。
本著は2003年秋に出版されている。すぐに買った。すでに読んでいた『「自分の木の
下で』と同じたぐいの内容だろうと勝手に想像してのことだが、予想通りで、読みやすく
有益であった。
大江氏の作品に最初に出会ったのは高校生のころだった。氏が芥川賞を受賞して一躍有名作家になったころ、私も文学書を読みあさっていたので、興味をそそられて読んだ。
しかしである。『死者の奢り』を読んでひどいショックを受けてしまった。
氏の才能は私にも十分わかったが、作品の内容のせいだったろう、胸がむかむかしてきて
文章の難解さが気になり、その度にこちらの頭が悪すぎるのだと失望ばかりが残った。
歳月は流れ、久しぶりに一冊を買った。大江氏54歳の時の作品『人生の親戚』である。氏の文章が変わったのか、私に理解力がついたのか、物語がすっと心に入ってきた。
その大江氏がノーベル文学賞を受賞したとのニュースに、私は大いに喜んだ。日本の文学が世界に認められたこともさりながら、やはりずっと大江ファンであったから、親しい友人の慶事として受け止めたのである。『あいまいな日本の私』も早速読んだ。
私が大江氏にひとかたならぬ関心を抱くのは、偉大な文学者が理由なのではない。一人の父親としての彼に感動するからだ。
氏が(氏以上に奥様もであろうが、またごきょうだいも)障害を持って生まれてこられた光氏と、一心同体のように生きてこられた、戦ってこられたその真実な歩みが胸に迫るからである。
障碍者を我が子とするご両親はおおぜいおられ、皆さん、人知れず、涙の谷間を歩いておられるだろうが、氏はそれをリアルに作品で表現されている。光氏とともに生きることが大江氏の人生であり、それが彼の文学であるところに感動するのだ。
文学が単に机上だけの観念の世界ではなく氏の生き方そのものになっている。苦悩の生き方の中の文学であるところに力といのちを感じ、尊敬と好感を抱くのである。