ギリシャ語で「時」を表す言葉、クロノスとカイロスがあります。クロノスは、時刻的な「時」で、カイロスは状況的な「時」を意味します。
例えば、ある人が「お昼ご飯は12時に食べます」、これはクロノスで、12時という時間が来たら食べるのです。また、お腹がすいたときに食べる人もいます。これは状況的な「時」です。お腹がすくのは12時とは限りません。11時かもしれないし、13時にすくかもしれません。このように、「お腹がすいたときに食べる」、これがカイロスです。
聖書のなかにカイロスの「時」があります。有名なのは再臨の時です。ですから「イエスさまはいつこの地に戻ってこられますか」と聞かれても「はい、何年何月何日です」と答えるのではなく「神さまがお決めになったときに起こります」と答えることになります。
つまり、聖書のカイロスの「時」とは神さまがご計画した「神さまの時」なのです。
「神さまの時」は信仰生活の中にもあります。洗礼の時です。
イエスさまを救い主と受け入れたときその証しとして洗礼を受けます。その喜びの時です。ある人は、中学、高校生のときに、またある人は天国に召される直前にお受けになる方もいます。まさに人それぞれです。
ちなみにわたしは46歳の時でした。
仕事、家庭、あらゆる人間関係が壊れ、一歩も前に進めないでいたわたしにイエスさまはお声をかけてくださいました。
1997年7月です。そこから信仰生活が始まり、今に至っています。
救われた当初は、もっと早く(若いときに)救われたら良かったのにと思ったこともありました。でも、いまはそのときがわたしにとって「最善の時」だと思っています。
伝道者 3章11節
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」