わたしのモデル  投稿者 青梅

先日、タイトル「良き日本人は、日本の小学校で作られる」のコラムがありました。

内容は、「小学校〜それは小さな社会〜」2023年、日本、アメリカ、フィンランド、フランス合作のドキュメント映画に対する批評文でした。が、「良き日本人」とはどんな日本人だろうかと、内容よりもタイトル名に反応しました。

理由は、良き夫、良き妻、良き親、良き職業人ぐらいまでなら何となく想像できますが、「良き日本人」となると、イメージと言いますか、良き日本人のモデル、つまり大方の日本人がそれと認めるモデルが思い当たらないからです。

昔はいました。「二宮金次郎」がその一人で、たいていの小学校の校庭には彼の像が立っていました。背に柴の束を負い、本を読みながら歩く二宮尊徳像です。しかし、いつのまにか撤去されています・・・。

モデルと言えば、私たちクリスチャンは「良き人間」のモデルが与えられています。ご自分の命を犠牲にされた愛のお方「イエスさま」です。愛においても平安と寛容、柔和と謙遜、勇気と希望、忍耐と誠実においても、私たちの模範となるお方です。
日本にあって、世界の人々と共有できる「良き人間」のモデルです。

確かに、自分が具体的にどのような人間を目指していけば良いのかわからない民族に、未来はあるのかと言えば、ないのかもしれません。なぜなら、ゴールのないマラソンレースに参加しているようなものだからです。

さすれば、具体的なモデルを持っている私たちクリスチャンは幸せだと思いました。どこへ向えばいいのかという迷いが生じないからです。

あらためて、わたしはクリスチャンとして、自分の信じていることに確信を持って歩みたいと思います。
確かなゴールが見えているからです。

2025年07月01日