『「新しい人」の方へ』  大江健三郎 その3-4  投稿者 希望の風(掲載日2006年4月12日(水))

『「新しい人」の方へ』  大江健三郎 その3
『知識人になる夢』について その2

自分が子供の時夢見た「知識人」になれたかどうか、なれたとは言明しないが、国の内外に、知識人と思われる多くの人たちと友人になり、その友人のひとりが、きみにはほかの人の経験を共感する力がある、この自分と同じ感じ方、考え方をしているように思う、と言われたことを誇りとし、喜びとしている。

つまり、大江氏の考える知識人の定義に自分自身が当てはまると暗にいっている。子供のころに抱いた夢を実現させることができたといっているのだ。

私も、大江氏はノーベル文学賞に輝く世界に名だたる小説家であることも含めて偉大な知識人だと思う。
そして彼が、小説家であることを喜ぶ前に、知識人を強調しているところに、氏の知識人たる所以があり、本領が躍々と顕れているとおもう。
氏こそ、現代日本を代表する知識人ではないだろうか。(続く)

『「新しい人」の方へ』  大江健三郎 その4
「新しい人」になるほかはない

最後の篇がこれである。本著の題名にもなっているので、氏の言いたいことのすべてがここにあるのだわかる。そのとおりに、氏は「この本を読んでくださる人たちへのメッセージのもとになることをまずはっきりさせよう。…それは、若い人に「新しい人」になってもらいたい、めざしてもらいたい」とある。

氏は「新しい人」という言葉に出会ったくだりを次のように記す。

「新約聖書エフェソの信徒への手紙では、キリストは平和をあらわす。それは、対立してきた二つのものを、十字架にかけられた御自身の肉体をつうじて、ひとつの「新しい人」に作り上げられたからだ。そしてキリストは敵意を滅ぼし、和解を達成された……。

私は、難しい対立のなかにある二つの間に、本当の和解をもたらす人として、「新しい人」を思い描いているのです。
「私はキリスト教徒ではなく、聖書についての知識も浅いのです。キリストが十字架にかかって死ぬことで、対立する二つを自分の肉体をつうじて「新しい人」に作り上げ、本当の和解をもたらしたということについて納得してもらえるように話すことはできません」とし、さらに、

「私はただ、十字架で死なれた、そして「新しい人」となられたイエス・キリストがよみがえられたということを、つまり再び生きられて、弟子たちに教えをひろめるよう励まされたということを、人間の歴史でなによりも大切に思っています。

その中心にあるのは、「新しい人」として生きられた、いつまでも生き続ける「新しい人」というイメージが根本にあるのです」と結んでいる。

長く引用したが、大江健三郎という偉大なる知識人を理解する貴重な部分だと思う。そしてこれに続くつぎの文章もまた、氏を理解する上で見逃すことができない。(続く)

2025年04月12日