この日曜日から土曜日までを教会暦では受難週と呼びます。十字架刑を覚悟でエルサレムに入ったイエス・キリストが、その通りに十字架にかかって死に、墓に葬られたその受難を忍んで、代々の教会はこの週を特別に大切にしてきました。
たいていの教会で、朝早くから祈り会が持たれます。イエス・キリストの十字架は私の罪のためであったことを再確認し、救われた恵みと神の子にされた特権を感謝するのです。
私は、毎年この週は、イエス・キリストのご生涯の中から受難に関係のある聖書箇所を集中して読みます。十字架の記事はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四つの福音書すべてに克明に記されています。時間的にはわずか一週間の出来事ですが、記述の割合は大きいのです。私の使っている新改訳聖書第3版でみますと、四福音書のページ数は合計で172ページですが、そのうち受難週の記事は66ページ、およそ38%にも及びます。十字架こそ全人類の救済の中心であることが、ここからもよくわかります。
今年は、聖書もさりながら、受難の賛美歌に心ひかれています。鼻歌でなく、教会で皆さんといっしょに賛美するように、いいえ、それよりも大きな声で歌っています。周囲に人がいないからかもしれません。賛美歌の歌詞がしみじみとせつせつと迫ってきます。感情も高揚されて、イエス・キリストへの深い思いに導かれます。神さまは聖書を読むときもともにおられますが、賛美の中にも住んでおられます。
ひとつふたつ歌詞を掲げます。ご存じの方はぜひ歌ってください。歌詞を味わうだけでも心が満たされます。
血しおしたたる 主のみかしら
とげにさされし 主のみかしら
なやみとはじに やつれし主を
われはかしこみ きみとあおぐ
主のくるしみは わがためなり
われは死ぬべき つみびとなり
かかるわが身に かわりましし
主のみこころは いとかしこし
なつかしき主よ はかり知れぬ
十字架の愛に いかに応えん
この身とたまを とこしえまで
わが主のものと なさせたまえ(讃美歌136番)