母が、イエス・キリストの救いに与るとは、我が家の願いの筆頭であり、88歳にもなりましたので最緊急の祈りの課題でした。教会はもとより、友人知人たちにことあるごとに祈ってくださるようにお願いしてきました。
母は長年私の信仰生活を側面から支えてきたよき協力者でした。ときどき教会にも行きましたし、教会の皆様とは私を通して長年よいお付き合いもしてきました。キリスト教がどういう宗教なのか、またクリスチャンとはどんな人たちなのか、それもかなり深く知っていたはずです。しかし、キリストを自分の救い主として考えることはなかったのです。
父が30年も前にクリスチャンになったのに、いっしょに教会へ来ることもなく、我が家でただひとり、ノン・クリスチャンとしての立場を堅持していました。しかし、キリスト教を批判したり、悪く言うことはありませんでした。むしろ、世間には、私の家はキリスト教ですと公言してきました。
私たちは一日も早く母が救われて、イエス・キリストにある喜びと平安を味わって欲しいと願っていますが、信仰は強制するものではなく、またできないことです。その人自身が自分から心の扉を開く以外にありません。私たちとしては祈る以外にありませんでした。
今月初め、今までになく体調がダウンしてきたとき、母はいろいろ考え、何かを察知したのでしょう。私にあらたまって話しました。イエス・キリストを信じるよと。
私は耳を疑いました。待ち望んでいたことなのに、大喜びで叫びだし、躍り上がってもいいはずなのに、静かに、深くうなずいて、そうなの、ほんとうなのと、言っただけでした。
しかし次の瞬間、これは一大事件だ、このよい知らせを早く伝えなければと、あわてふためいて就寝間際の長女と孫たちに声をかけました。みんなで母を抱きしめ、歓声と感謝の祈りをささげました。
翌日、教会へ行き、牧師夫妻においでいただいて、改めて母の信仰告白を確認していただきました。母は牧師の質問にもはっきりと「イエス・キリストを信じます」と告白しました。先生は「あなたは、今日イエス・キリストに救われました」と宣言しました。
母はあっという間に神の子とされ、永遠のいのちをいただいたのです。
今私は、日に日にこの貴い事実を実感し凝視して感謝に浸っています。そして神さまのなさることは人の思いをはるかに越えた計り知れない不思議だと、つくづく思います。
母は今、日に日に体力がなくなり、自力で歩けるのはあと何日だろうと密かに計算するほどになりました。幸い、頭の働きは体力ほど落ちていません。
17日には自宅で洗礼式を行うよう準備を進めています。母のために祈ってくださった皆様、ありがとうございます。無事に洗礼式ができますよう、さらにお祈りください。
『きょう、救いがこの家に来ました』
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、 この世を愛された。それを御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』