真夏の収穫――文学講座に参加して  投稿者 希望の風(掲載日2008年7月)

母を娘に託して、午後の数時間、文学講演会に行って来ました。思いがけなく友人からチケットが廻ってきました。チャンスとばかり飛び出していきました。有楽町の読売ホールへ。

日本近代文学館主催の夏の文学教室です。今週月曜日から土曜日まで6日間、一日3つの講義がありますが、私は2コマだけ参加しました。

一つ目の講演者は田中優子氏。法政大学教授で江戸研究の大家。テレビにもお顔の見える売れっ子学者さん。演題は『江戸っ子の江戸東京――京伝・一葉・石川淳――』

二つ目は作家古井由吉氏による『漱石と東京』です。

一葉と漱石が聴けるので大いに期待して出かけました。先だっての、仲間たちとの文学散歩以来、この2人の小説家には今熱い思いを抱いています。

漱石は、『三四郎』、『それから』に続いて『門』を読書中。漱石こそ日本文学史上最大の文学者だと思いを深めながら、唸りつつ読んでいます。詳しくはいずれの時に。

田中優子氏は涼しげな和服姿で登場です。なかなか粋です。語り口は簡潔明瞭。江戸の地図が現在形で頭に入っているようで、一葉の生活圏をいっしょに歩いたような気になりました。つい先頃文学散歩で訪ねた本郷菊坂も登場し、胸がドキドキしました。

古井由吉氏を目の当たりし、ああ、あの本を書いたのはこの方かーーと、有名人に会えた感動に浸ってしまいました。(ミーハー族なのです)
堅くて深くて渋いこの方の文体そのもののお話しぶりでした。ちょっと迫力には欠けましたが、甘さを抑えた大福に適温のお煎茶をいただいているようでした。
最後の一言が深く心にとどまりました。
「文学は声ではないか。自分一人の声ではなく、自分を越える声が筆を引っぱっていく」

ひどく納得できたのは、私が文学を理解したり体験しているからではなく、神様からの導きや語りかけに耳を澄ませ、その声を頼りに書いている、自分の姿勢に呼応するからです。

一流の小説家は書いている過程で、自分を越えた存在を知り、その力を認めながら創作していくようです。凡人たる私などは、そもそものスタートから祈って祈って一言一言いただきながら綴っていきます。彼らとの違いは大きいですが、偉大なお方の力なしにはできないという共通項を発見したのは、大きな収穫でした。

2025年07月11日