先のエペソ人への手紙と並んで『獄中書簡』と呼ばれる4つの手紙のうちの2番目が、この手紙で、パウロの手紙の中でもたいへん親しまれている。この手紙には『喜び』という貴重なことばが随所にちりばめられていて、福音の風に躍っているからだ。この書は明日のいのちも保障されていないローマの獄中で書かれた。それだけに『喜び』が光っている。
ピリピの教会はパウロの身を案じて、エパフロデトに見舞いの金品を託してローマへ派遣した。ところが彼が重病に陥り、かえってパウロを心配させた。ようやく回復した彼が帰国するに当って、パウロはこの手紙を書いて持たせたのであった。感謝に満ちた礼状ではあるが、それだけでない。パウロはピリピの人たちを目の前にしているように親しく語り、証し、説教している。そこには教会への愛があふれ、またイエス・キリストへの愛が燃えている。
わずか4章の短い書であるがどこを読んでもパウロの喜びが魂に深く浸透し、力強く天にまで引き上げられるような高まりを覚える。
この教会の設立に係わった一人の女性が私には忘れられない。使徒の働き16章に名を記す《紫布の商人ルデヤ》である。聖書の女性をずっと書いてきているが、ルデヤでは長文のエッセイも書き、小説にもした。ルデヤはパウロの説教で救われ、ヨーロッパに福音が伝播していく初穂となった。
4章丸ごと掲げたいほど魅力的なみことばに満ちている。抜粋するのにたいへんに迷う。
2章6~8節
キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
3章8節
私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。
3章13節
ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、 キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。
4章4節
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。