愚劣な為政者 挑戦する正義  寄稿者 道草

列王記Ⅰ 18章24節 預言者エリヤ
[あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は私の主を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。]
 
国民の幸不幸は政治家の善し悪しによって多大に左右される。国民が参政権を持ち、為政者を選挙できる時代になっても、である。ましてや、独裁専制政治、王権世襲制の世にあっては、その功罪ははかりしれない。

古代イスラエルは神聖政治が取られた。王は神さまから王権を委ねられたにすぎないはずだった。だが、ひとたび権力の座に着けば、神さまなんぞ眼中にない。そうした悪王のとき、神の人エリヤはいのちをかけて立ち上がり、神の正義で権力に挑戦した。

翻って、私たちの国や自分自身を顧みる。
『長いものには巻かれろ、見ざる、聞かざる、言わざる』の時代は笑いぐさにしてもいいほど過去の遺物になっただろうか。
『あいまいな日本、あいまいなわたし』はその線上にないにしても、善と悪、黒と白の境界線がぼやけていると思う。
 
せめて、キリスト者としての旗幟を鮮明にし、だれが見ていなくても、誰が聞いていなくても、日々の言動の中に、キリストの希望の風を吹き上げたいものである。

2024年01月30日