記憶の不思議     寄稿者 旅女

調べたいことがあって地図を繰っていた。オーストリアのザルツブルグを見ていたら、すぐ西のオーベルンドルフという町の名が目に入った。どこかで聞いた名前だなあと思った。すぐに思い出せるかと思ったが出てこない。オーベルンドルフ…、オーベンルドルフ…と声に出して言ってみた。わからない。また声に出して言ってみた。

町の名を言うたびに、私の胸には、なつかしいような、静かで清純で素朴な、ちょっとロマンチックで、信仰の香りまで湧き上がってきた。しばらくして言ってみるとまた同じ思いになった。でも具体的な事柄が出てこない。ルターの伝記にあったかしら、いや、ちがう。ゲーテやマンの小説かしら、バッハかな、いや、ちがう。ちがうことははっきり分かる。

歴史の教科書に出てくるような大層な事件に絡んだ街ではないことも断言できた。

確かに、聞きなれた地名なのだ。だが、記憶の蓋があかない

思い出せないことに軽く失望はしたものの、苛立ちはしなかった。

ところが、あの『きよし この夜』の生まれた町であることを知って、大いに失望した。

なんで、あんなに有名な街を忘れてしまったのだろう。毎年のようにあの曲のエピソードを読み、あるとき、自分のエッセーにも書いたことがあったのだ。それを忘れるなんて……。

それは、それとして、記憶ってどうなっているのだろうと、それがとても気になり、不思議でならないのだ。オーベルンドルフというたびに沸き起こるあの雰囲気はなんだろうと思うのだ。それは間違いなく、正確にオーベルンドルフの町を表していた。

ひところ、右脳とか左脳とかが話題になった。右脳人間、左脳人間などとも。これも私の脳の働き方によるのだろうか。ひどく興味深い。脳の老化にも関係があるのだろうか。

オーベルンドルフは思いがけないことを考えさせてくれた。

2024年03月18日