『数学者の休憩時間』 その2   寄稿者  付箋

藤原正彦氏はあの『流れる星は生きている』の、3歳の少年だったのである。

よくもまあ、無事に成長したものだ、しかも数学者とは…。
小さい頃をよく知っている甥っ子や友人の息子さんの晴れ姿をみるような気がした。実際は終戦の時3歳だから現在63,4歳の初老氏であるのだが

数学者が書くのだから、エッセイとは言っても難しい語彙や理屈が累々と並んでいるのではないかと思いきや、すべては杞憂だった
歯切れのよいセンテンス、やさしい語句、そうか、そうだと声に出して頷いてしまうほど、頭にも心にもすっと入る文章である。

非常に興味深く読んだ箇所を挙げてみる。

数学教育の大目標は、数学的処理技術と論理的思考(筋道を立てて物事を考える)の育成の2つである。しかし数学を勉強しても必ずしも論理的思考に長けることにはならない。その例がいくつか紹介されている。
また、数学の論理と世の中の論理はもともとなじまず、必ずしも結びつかない。だから、数学を学んでも論理的思考を育てるという目標通りにはならない。

その代わりに目指すものがある。
その1は、「数感覚の育成」である。四則計算は、小学校のうちに、有無を言わさず強制的にたたき込むのが最善と思う。数感覚は徹底した計算練習により自然に培われるもので、計算器のキーを叩くことでは望めない。
なるほど、なるほどと思う。
その2は、「考える喜び」を育てる。数学の問題を長い時間考え苦心惨憺の末やっと溶けたときの喜びはだれでも経験したことがあると思う。数学はこの喜びを教える格好の科目である。
そう言われれば思い出す、難問を解いたときの快感を。

その3は、「数学美への感受性」である。
数学は美しい。この美しさに感動するのは、音楽や絵画に美しさに感動するのと同じだと思う。数学の美しさは芸術的側面である。この感動を多くの人に味わってもらいたい。
これも納得である。1+1=2の美しさは私でも感動する。

氏の説は、数学者だからこ
その独自性があるかもしれないが、学問を小さな枠に閉じこめないで、日常の領域にまで引き寄せ、そこから広げ、発展、適用、応用させる自由自在さ、柔軟さが魅力的である。氏は生きた数学者であり、学問を生かしていると思う。

この正彦氏の近著『国家の品格』は今、ホットなベストセラーだそうだ。乗ついでと言っては申し訳ないが、読まないではいられない。今、机上にある。(終り)

2024年03月02日