一日の終わりに 寄稿者  道草

早朝のあるラジオ番組の終り際で、アナウンサーは必ずと言っていいほど「今日もよい一日でありますように」と挨拶します。その言葉を感慨深く聞き入っています

 一日はわずか24時間ですが、この間に体験する喜怒哀楽は計り知れないものがあります。一人として同じ一日を過ごす人はいないでしょう。

 ある人にとっては最高!ある人にとっては最悪…、朝に生まれる人がいれば、夕に死ぬ人もいる。そのそばで、歓喜する人もいれば、悲嘆にくれる人もいる。
 朝に、世の中にお金で買えないものはないと豪語した人が、あわれなるかな、夕べには獄を宿とする羽目になる……。

 さて、私の今日一日はどうであったろうかと、思い見ます。
 起床時には神さまの前に跪いて、家族を始め係わりのある友人知人一人一人の今日一日の加護を祈りました。
ある友からは、あの問題に、よい兆した見えたと朗報がありましたが、一人の愛する友からは、このところ体調が悪くて伏せっていますとメールがありました。

 今日もよい一日でありますようにとは、祈りの言葉です。そう願わない人はいないでしょう。

 でも、よい一日とはどんな日をいうのでしょう。
 よい一日とは、その人の価値観がきめることです。生き方の姿勢が決めることです。
 たとえ病床にあっても、勝利している人がいます。

 さあ、就寝の前にもう一度神のみ前に祈りの手を組みましょう。
 愛する人たちの一夜が守られますようにと。
 安眠して健康が回復しますようにと。

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい』聖書

2024年01月09日