二つの事故    寄稿者 タンポポパラダイス

恥を話せば、若い頃に大きな交通事故を2回ほど起こしてしまったことがある。

一つ目は、原付のバイクの事故、もう一つは、軽自動車での衝突事故である。
転勤で福岡に行っていた頃、通勤で原付バイクで職場に通うようになった。通うようになったというのは、当時、会社からバスの定期代が支給されていて、初めはバスで通勤していたのだが、朝の渋滞がじれったくなり、原付のバイクで通勤することを覚えてしまったのである。交通費を浮かすという意味ではなく、(バス定期は律儀に購入していたのだが)なんとなく、原付のほうが快適だったため、ついつい、会社の近くまで原付で向かい出勤していた。特に問題もなく、見つかることもなく、咎められることもなく、その回数が多くなっていた。

ちょっと小雨の日だった。坂道を降りている時、前輪がするっと滑ってしまい、そのまま横転した。気づくと、右の膝がパックリと開いて、血が流れだしていた。坂の上の方からトラックが近づいて来る。慌てて側道側により、そのまま、止血をして、家内に連絡を取り、病院へ向かった。十七針ほど縫った。そんな事故である。どういうわけか、会社には、ちょっと今日は休みます、というような体裁のいいことを告げただけで、労災にもならず、次の日から、普通に出勤した記憶がある。

二つ目は、これまた転勤で岐阜の大垣にいた頃のことだ。当時、小生は、献身すべきか
どうか悶々としていて、その決心がつかないまま、仕事でミスを繰り返し、左遷の体で、岐阜県の工場に異動になったのである。通勤 の際に使っていた軽自動車を運転中、どこか、うわの空になり、気づいた時には、若い女性が運転する車にぶつかってしまったのである。

幸い、物損で終わったのであるが、あと数メーター程、当たり所が違っていれば、大変な事故になっていたように想う。
今から思えば、どちらの事故も、神の裁きのような、恩恵のような、導きのようなそんな想いで受けとめている。

紆余曲折を経て、現在の勤務先に導かれ、二十七年勤務し、先日、その勤務先を定年退職になった。実は、現在の勤務先の同じ職場に、福岡出身の身体障がいの経理担当の女性がいる。彼女は、若い日に原付のバイクで事故を起こし、それ以来、車椅子生活になったという。

また、当勤務先の元幹部は、大変なエリート街道を歩まれた方で、功成り名を遂げられた方であるが、晩年、ふとしたことで、人身事故を起こされ、現在は、交通刑務所に服役しておられるという。

定年を迎え、現在の勤務先への主の召命の確かだったことを改めて感じ、感謝と懺悔と執り成しと導きを虚心に祈っている。

2024年02月22日