秋の手紙   寄稿者 色えんぴつ

秋の色があちこちにある。
京都に叔父叔母がいたころはよく桂の方に立ち寄っては紅葉を楽しんだ。

二人がいた老人ホームは立派な建物で、日本老人ホームの中でもトップ10に入るほどだった。建ってすぐに入居した二人は誰よりも古顔だったから、みんなに一目置かれて大事にされていた。
先に老いが進んだ叔母は介護病棟に入ったので、私はそれぞれの部屋を見舞い、
時を過ごした。もう叔母はたまにしか会わない私のことはわからなかった。そこで会話ではなく、讃美歌を歌ってみた。すると叔母は私の手を握り締めてきた。叔母は姪のことはわからなかったが讃美歌は覚えていたのだ。
「おばさん、教会に行きたいの」
叔母はしばらく教会に行ってないと小さな声で言った。
東京育ちの叔母は若いころクリスチャンになり、結婚してからも一人で教会に通っていた。婦人会が、会計がと言っていたので「教会婦人」としてどこに転居しても教会に行っていた。叔父はどうしていたか、その生き方を認めていたようで仲の良い夫婦だった。
もう叔母が教会にしばらく行っていないこと、認知症になっても教会のことは覚えていたこと、これは神様が私に何かせよとおっしゃっているのではないだろうか。
東京に帰ってすぐに叔母から聞いていたその地の教会に手紙を書いた。○○市○○教会。この名前の教会員はいませんか、認知症でホームに入居中ですが、元気なころはそこから教会にも通っていたとのこと、姪のことは忘れましたが教会のことは覚えています、訪問していただけませんか。

手紙を出したのは秋だった。その年は何の連絡もなかった。もちろん見ず知らずの者の手紙である。そのうち私も忘れていった。
春に近い日、「○○教会」から手紙が来た。なんと私が秋に書いた手紙の返事だった。最初に出した日本基督教団○○教会には叔母の名前はなかった。そこで教会は同じ市内の○○教会を名乗るところを調べて片っ端からあたってくださったそうだ。日本基督教会というところの会員であることが分かった。そのころ教会は無牧で叔母の所に行くのに時間がかかってしまったそうだ。
見ず知らずの者からの手紙が市内の教会を巡り巡って届き、叔母はまた教会の交わりの中で一生を過ごすことが出来た。

秋の庭はきれいだ。葉っぱも柿やミカンの実もきれいだ。紫や黄色の花もいい。秋の手紙のように感じる。

2023年11月13日