母はせつない    寄稿者  なぎさ

友人は90歳に近い母上と長い間二人で暮らしてきた。母上は、ここ数年はほとんど寝たきりで友人が24時間介護をしてきた。はたで見ていてもハラハラするほど友人の負担は大きかった。母上がなぜ公的支援を避けてきたのかはっきりした理由はわからない。

今年の夏、ついに友人が過労で倒れ、入院してしまった。さあ、たいへん。母上はひとまずすぐに施設に入居した。親子は急に離れ離れになってしまった。友人はコロナ鬱もあるのか、入院が長引いた。施設の母上とは当然ながら会えない。母上は携帯もうまく使えず、娘との連絡は不通になってしまった。お二人ともどんなにもどかしく悲しかったろうか。もっとも施設を通して多少の様子はわかったであろうが。

数日前、友人から、母が倒れて救急で運ばれたのでこれから病院に行きます、意識が混濁しているそうです、お祈りくださいと一報があった。詳細は一切わからない。ご高齢だし、このまま入院になるだろうと思っていたが、半日ほど経ってから、「母は、生き返り、施設に戻りました」と連絡が来た。生き返った??それはすばらしいが、どういうことかと不審だった。

後で聞けば、救急車の中から心臓マッサージを受け、病院でも必死のマッサージがあり、息吹き返し意識が戻ったそうだ。「母は昼食を食べ、洗面をして何事もなかったように施設にいます」だそうである。そういうこともあるのかと安堵した事である。

友人がさらに語る。「母は、この度のことは、あなたに会えるように、神様がしてくださったのよと言うのです」と。胸が詰まってしまった。母上はずっと娘に会いたかったのだ。コロナもあるし、娘は入院しているし、普通では絶対に会えない。でも、会いたい、会いたいと切に祈っていたのだろう。死んでもいいから一目会いたいと思っていたのだろう。母上の思いが切々と渡ってくる。子どもを持つ親なら誰だってそうではないか。私にもよく分かる。

クリスマスと年末年始にこの母と娘がまた会えるとはまだ聞いていない。おそらく別々であろう。しかしつかの間でも会えてよかった。そして、そう遠くない日にまたともに暮らせる日が来るだろう。そう信じている。

2021年12月25日