いそぎゆきて おがまずや  寄稿者 緑風

19日の日曜日にはおおかたの教会では「メリークリスマス!」とあいさつを交わしながら礼拝を捧げる。コロナ禍だから歓声はあげられないが、正真正銘のクリスマス礼拝である。
まだまだ人数制限の分散礼拝の教会があり、オンライン礼拝の教会もある。昨年もそうだった。2年続いてイレギュラーである。聖歌隊の賛美もない。それどころか、会衆賛美も我が教会ではマスクのままハミングするだけ。それも一番のみ。こんなことは私の信仰生涯ではなかったことだ。礼拝に続く祝会がないのも経験がない。恒例のケーキもローストチキンもない。

礼拝だけのクリスマス・・・。思えばこのSimpleがすばらしい。これでいいのだ、これもいいのだ。そう思って感謝している。主のなさることは「時にかなって」美しいのだ。

主イエス様がベツレヘムの家畜小屋で産声をあげられた時は、家畜のほかに母マリヤとヨセフの二人だけだった。最初のクリスマスはわずか二人だけだった。それからしばらくして数人の羊飼いが駆けつけてきた。聖書にはみ使いたちが「今日…お生まれになりました」と告げているから、確かにイエス様降誕の直後だったのだろう。羊飼いたちは野原で羊たちと野宿していたところだった。そのままの姿で町に駆け付けたのだ。ケーキもローストチキンも持って行かなかった。仕事着のまま、とにかく救い主誕生の現場に走ったのだ。これがクリスマスの原風景である。原点を見据えることは大事ではないだろうか。そこには物事の本質がある。

これから礼拝に行きます。Simpleな礼拝に。
多少の正装をしています。特別な日ですから。
しかし、心の襟をただすこと、
心に感謝の衣をまとうことは忘れません。

いそぎゆきて おがまずや!
いそぎゆきて おがまずや!

2021年12月21日