スケジュール帳はいらない 寄稿者 なぎさ

今年も最後の月を迎えた。
どんなにコロナ禍で世界中が右往左往しようが、月日の足は微塵も乱れない。
人が早く感じようと遅く感じようと超然と時は進んでいく。
その堅牢さが何とも頼もしい。
ときには「時」に無情を感ずることもあるが、
それはこちらの勝手というものなのだろう。

「時」は「神の時」の中にある。
「神の時」はすべてうるわしい。
その確信さえあれば
古い言い回しだが、光陰矢の如しであっても
茫然とするとはない。「矢」とともに飛んでいけばよい。
うるわしい「神の時」を楽しめるかもしれない。

12月はカレンダーや手帳を用意する時期でもある。昨年はスケジュール帳がほとんど空欄であった。もう私には要らないのではないか、わざわざノートに書き込まなくても、小さなメモを目の前のボードに貼り付けておけばそれで事足りると思う。

ちなみに、私にはスマホやPCで管理する習慣はない。ずっとノートを使ってきた。これからもそうするつもりでいる。しかし、コロナが終わっても、かつてのように空欄のない日はないほどの活動はないだろうし、あえてしないつもりでいる。さて、2022年はどうしましょうか。カレンダーは用意するけど、スケジュール帳は不要かもしれない。

人生活動縮小で寂しくないか・・・
そうね、とも、いいえとも言いかねる。
思えば、この2年間のコロナ禍が、新しい生き方を示してくれた。それに従っているうちに、新しい生活スタイルが生まれ育った。それに慣れてきている。快適!と言えるほどに。
「今日一日のこの時」もうるわしい「神の時」に支配されているのだから、喜び感謝以外にない。明日を委ねながら。願わくは平和に満ちたクリスマスを迎えたい。

2021年12月03日