コロナ禍以前と今の様子   寄稿者   付箋

出張で東京を通過する友人と、急に会うことになった。コロナ騒ぎが起きて以来会っていない。お互いに手渡したいものもあるが、この先のことはわからない。当分は無理だと思い、今回が絶好のチャンスと判断した。このところ日々発表される感染者数が激減しているし、お互いにワクチンは接種済みなのも理由付けになった。しかし安易な油断は禁物と事前に飲食無しを申し合わせた。とはいえ、立ち話で別れるには忍びない、多少は一緒に座り込んで話したいではないか。

そこで、あるカフェの室外の席を選んだ。換気は問題ない。お互いにマスクはしっかりしている。距離も保った。問題と言えば飲食である。お店の席に着いたからには何かオーダーしないわけにはいかない。そこで、最低のドリンクをお願いした。マスクを外しては一口、すぐにマスクを付ける・・・・こんなことをくり返しながらであったが、直に笑い声を聞き、友のいつものしぐさを目の当たりし、呼吸を感ずることができた。いのちそのものに出会えたのだ。本物に勝るものはないとつくづく思った。本来ならハグするところだが、肘タッチで我慢した。

短い時間ではあったが、周囲の風景に驚いた。コロナ以前は、通りにはぶつかるほど人があふれ、どこのお店も満席、お店の外にまで並んでいたものだが、それがない。駅の広い構内もスカスカである。何より驚いたのは電車の混み具合である。そろそろ夕方のラッシュ時に差し掛かっているのに空席がある。一席空けて飛び飛びに座っている。あるいは立っている。実に感染予防のマナーが守られているのだ。ノーマスク姿は皆無。多少ウレタンマスクが見えたけれど・・・。ホントにびっくりした。これではさしものコロナ菌も手も足も出ないだろうと、ニヤリとしてしまった。

私の見聞は海辺の一砂粒ほどにすぎないが、国民全員が懸命に励んでいるのだと強く感じた。同時にふと、これではお客相手に商売をしている方々にはどんなに厳しいことだろう。それこそ死活問題だ、その関連の方々も・・・。

コロナがゼロになったら、すぐに以前のように戻るだろうか。
以前のようになってほしくないいくつかが浮かんでくる。この際、改善されたらいいと思うことなどがある。私の好みにすぎないが。改善され、改革された新しい日本が、世界が出現しないだろうか。

100年前の「スペイン風邪」が世界を襲った時、どこの国も兵士たちが感染し、その結果第一次世界大戦の終結が早められたとか。世界規模でよいことがあったのだ。この度の「コロナ禍」はどんなすばらしい出来事を残すのだろうか。その大いなる遺産を見たいものだと願い祈る。

2021年10月14日