友情と常識   寄稿者  道草

先週末に友人がついに高齢者施設に入居した。入所と言うべきか入居と言えばいいのか、その区別は何だろう。終の棲家になるやもしれず、入居でしょうか。私よりいつくか若いが、転倒して入院手術となり、リハビリ病院も含めて半年が経った。今回、車いすのままホームに入った。ずっと一人暮らし、近くに弟さん家族がおられる。このコロナ禍で病院や施設と係れるのはお身内だけである。入院中はスマホの電話だけだった。

入居したばかりの友人から、衣類を持って来てほしいと電話があった。入居するにあたっても自分のお家には戻っていない。着のみ着たままで場所を移動しただけである。しかし病院とホームでは生活スタイルが違う。それは経験してみないとわからないことだろう。

友人はとりあえずいつもの衣類が必要なのだ。私は二つ返事で引き受けた。ところが、どっと様々なことに気が付いた。友人宅と弟さんのお住まいは両方とも私の徒歩圏内である。
そこで、まず弟さん宅を訪問することにした。友人の住まいに同行していただいき、弟さんから衣類を出していただき、それをホームの受付に持って行けばいい、そこまでようやく考えた。ホームも徒歩圏内である。何とか歩ける。

弟さん宅のチャイムを鳴らすと、飛ぶように出てきた。いままでに多少面識がある。私のことを覚えておられ、姉がご迷惑をかけますと丁重にあいさつされた。ひとまずほっとした。
弟さんは、姉には再三言っているが、数日後にホームから担当者が姉の部屋の様子を見に来られる、そのときに必要なものを持って行くことになっている。それまで待つようにと話してあるのに、申し訳ありませんと。

そうか、そういうことになっているなら、あとは友人が少しの間我慢すればいいのだ。私は、友人のお部屋に入ることもなくなり、衣類を運ぶこともなくなった。半日はそのことに全力を尽くそうと思っていたので、いささか拍子抜けしたが、肩が軽くなったことは否めない。

実は、内心では、物品を預かる事には戸惑いがあった。今後もこうした依頼が続いたら、そのうちに、持って行った、受け取っていないなどの行き違いが起こるかもしれないではないか。そこで今回はとりあえず弟さんとお互いにサインし合おうと書類まで作ったのだ。双方でスマホに物品の写真を撮ることも考えた。それらをしなくて済んだのだ。

友人には電話をした。今後ほしいものはあったときはホームのスタッフにお話しし、弟さんへ連絡していただくようにした方がいいと。友人はわかったと言いながらも不満そうだった。弟は忙しいし、細かいことはわからないと。そうかもしれない。グリーンのジャケットとチェックのズボンと言ってたから。友人はもどかしいだろう。骨折事件がなかったら、今までのように自由に出歩き、飲食し、ショッピングできたのだ。私はそれを知っているから、長い間の友情にかけてもできることは応援したいと思っている。しかし、お身内がいて、公的な働きがある以上、限度を超えることはできない。

友人はだんだんと生活環境に慣れ、受け入れ、お部屋も趣味に適したレイアウトができるようになるだろう。しかし外観は満たされても心の中はどうであろうか。それをコントロールするのは自分自身であろうが、体が不自由な分、心のさざ波は絶えることがないだろう。鏡のような湖面を作れるのはイエス・キリストの与える平安だけだろう。せめて、キリストの弟子として、その部分で何か分かち合えればと願う。しかし、このコロナ禍では会いに行くこともできない。せめて会えたら、おしゃべり出来たら、友人もどんなにか心が和むだろう。

『金銀はわたしにはない。しかし私にあるものをあげよう。
イエス・キリストの名によって歩きなさい』
使徒・3章6節

2021年09月27日