エリック・リデル  寄稿者  アールグレイ

東京オリンピック・パラリンピックが、コロナ禍の中無事閉幕した。多くの熱いドラマが繰り広げられた感動の大会であった。私はあるラジオ番組をきっかけに、ほぼ百年前の陸上選手エリック・リデルの生涯を知り、深い感銘を受けた。

リデルは「炎のランナー」という映画でも描かれているので、知っておられる方も多いと思う。(日々の泉7/23青梅さんの文章でも取り上げられている)かいつまんで述べると、リデルは1924年パリオリンピックで陸上100M走に出場する予定だった。しかし、レースが日曜日に行われることを知り、日曜に礼拝を捧げることを第一にしてきた敬虔なクリスチャンの彼は、レースより信仰を選んで、出場を辞退する。周囲の非難の中、最終的に400M走に種目を変え、一番はじのコースという不利な条件の中、世界新記録を出して優勝するのである。

オリンピック後、リデルはアスリートの道を捨て、中国の天津へ宣教師として赴く。ミッションスクールで理科を教え、聖書も教えていたという。しかし、1937年に日本軍が天津を占領したため、妻子を国外に避難させ自分は中国に残り人道支援を続けた。その後状況は悪化し、収容所へ入れられてしまう。過酷な抑圧と体調不良に苦しむが、リデルは希望を伝え続けた。

逸話がある。収容所でリデルが子ども達に聖書の山上の説教を教えていたとき、「敵を愛しなさい(マタイ5:44)」の箇所で、子ども達は敵である日本人を愛することはできない。あくまで理想にすぎないと言った。リデルは「僕もそう思うところだった。でもこの言葉には続きがある。『迫害する者のために祈りなさい』とある。愛する者のためならたくさん祈れるが、イエスは愛せない者のため祈れと言われた。だから日本人のために祈ってごらん。僕達は憎むときは自己中心だが、祈るときは神中心だ。神が愛する人を憎むことはできない」と言ったという。

この場にいた17才の少年スティーブン・メテイカフは、その日から日本人を赦し日本人のため祈ることを始め、終戦後は宣教師として日本に来て、神の愛を38年にわたり伝えたのである。リデルは終戦の半年前に脳腫瘍により43才で召天したが、信仰のたすきは引き継がれたのである。自分の栄誉でなく、どんなときも神の栄光を現そうとしていたエリック・リデル。祈られていた日本人として、小さな私も信仰のたすきを引き継ぐ者でありたい。

2021年09月11日