希望の風に吹かれるだけ  寄稿者 草枕

昨年早々に突風のように吹き始めた新型コロナ感染症
が、いまだ勢力衰えず、世界中でほしいままに暴挙を
振るっている。

およそ自分には時を見る目や的確な判断力がないこと
は、過去の経験からも認識しているが、このコロナに
ついても大いに甘い。一緒に活動している仲間たちに
、昨年来何度楽観的な声かけをしてきたことか。当初
は春風が吹いたら会えるでしょうと言い、秋の涼風の
吹くころにはきっと会えますねと言った。やがて、ク
リスマスこそ一緒にお祝いしましょうねと知らせた。
ところが事態はますます悪化の一路をたどった。今年こそ、早春の光の中で再会しましょうと伝え、この夏前には一度集まりましょうと言った。しかし、現在、コロナはますます強力な新種株に変身し、悪戦苦闘する人類を嘲弄している。何ということだろう。

この様子では9月、10月も活動開始には無理があるだろう。今、私はクリスマスにはと望みを繋いでいる。思えば、最初のころ思い切って2、3年は続くでしょうと断言していたらよかったのだろうか。賢い人は早くから見抜いていたかもしれない。

私にあるのは希望だけである。希望から希望へ、また希望から希望へと希望の風に乗るだけである。希望の風は衰えない。希望は失望を知らない。絶望を粉砕する。希望の風は光を放つ。闇をも恐れない。希望の風には光り輝く目がある。

希望の風の翼に乗る心地よさよ!

時を見る目や判断力がなくて嘲笑されても、無力なんだから仕方がない。開きなりではない。事実を丸ごと受け入れるだけである。私にあるのは希望だけ。希望の風に吹かれるだけ。希望の中に、イエス・キリストの愛が大河のように滔々と注ぎ込まれているから。

この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ・5・5

2021年08月26日