フレイルを助長するコロナ禍   寄稿者 銀鈴

コロナ禍で約一年休講になっていた学びが新年度から再開されることになった。案内が届いてホッとしたものの、かつてのワクワク感はほど遠く、ほんとにできるのかしら、コロナはまだ危険ではないかしら・・・、これを機に幕を降ろしてもいいかもしれないと、怠惰な臆病風に翻弄されている。

同年輩の、つまり後期高齢者のクラスメートと連絡を取り合うと、一様に最初の話題は体の衰えのことだった。復帰したいと思うけど、足腰が弱って困っている。今まで、電車を乗り継いでよくぞあんな遠くまで行けたと思う、今は気力も体力もない。近所を歩いて鍛えてはいるけど、自信がない、今の静かな暮らしもいいものだ・・・と言われる。

そうか、みな同じだ。もしコロナの出来事がなかったらそのまま継続して体力も気力も衰えはしなかっただろう。もちろん高齢なのだからいつかはストップする時期が来るのだが、一斉にとはならないだろう。しかしコロナ禍は一斉に足をとどめ、心を折るのだ。むごいことではないか。

最近よく耳にする「フレイル」とは、加齢に伴い身体の能力が低下し、健康障害を起こしやすくなった状態、いわゆる「虚弱」のこと。介護が必要になる前段階ともいえるそうだ。コロナはこの「フレイル」を助長しているのだ。コロナは高齢者を標的にしている。感染して重症化するのは高齢者だ。死者も多い。コロナは高齢化社会に挑戦状を突き付けているのだろうか。

フレイルの兆候であろうとなかろうと、かつての生活スタイルを再開するもしないのも、それぞれが自分を良く見極めて選択すればいい。しかし気を付けたいことはくれぐれも「老害」になってはいけない。昨今の世相を見るに、明らかに老害が騒動を巻き起こし、世界的に恥を晒している。「汝、自分自身を知れ」とは、永遠の命題であるが、特に老人は気を付けたい。老人の中に私自身が入っていることは言うまでもない。これは私への警告でもある。

私が「自分自身を知る」鏡としていつも携帯しているのは「イエス・キリスト」である。「キリスト・イエスの心を心とせよ」が、私の地上での一大課題である。加齢によるとフレイルによるとに係わらず、イエス様に訊きつつ今日一日の歩みを進めたい。

2021年02月12日