スケートボードが楽しい! 寄稿者 道草

思えばオリンピックを東京に招致するころが、一
番激して反対していた。何が嫌かと言えば、騒々
しくなることだった。それでなくても東京はいつ
もあわただしく落ち着きがない。海外からの観光
客の目に余るマナー知らずにも腹立たしかったか
ら、この上、さらに多くの人が押し寄せてきたら
、そっと小さく生きている私などは息つくところ
もないではないかと排他的な思いを強めていた。
しかし、決まってしまったのなら仕方がない。速
やかに終わってほしいとそんな思いになっていた
が、コロナで一年延期となりもどかしさだけが残
った。

無観客で規模も極端に縮小され、見物人も来られ
なくなったのはよかった。ひとまずは世界的な責任を何とか果たすことができ、肩の荷を下ろすことできるだろうと、まるで自分が主催者の側にいるような思いになった。

二つのことを今も祈っている。一つはこのイベントがコロナ感染拡大の要因にならないこと、とんでもない大事件が起きないことである。世界の200以上の国々から様々な文化や習慣を背負った人々がやってくるのである、トラブルが起きないはずはない。アスリートと言えども聖人君子ばかりではないだろう。しかし人命に係わるような事故や犯罪だけは起きないようにと願っている。麗しいスポーツマンシップを見たいものである。

もともとスポーツにはあまり係わりない年月を送ってきた。することはもちろん観ることにもである。ルールもあまり知らない。スポーツ音痴なのだ。これだけは見たいと執着するものもない。しかしあふれる報道はいつのまにか耳に入ってくる。開催国なのだから、自国なのだから、選手の皆さんも競技しやすいだろう、その分がんばってほしいなんて、勝手に思った。

ふと、スケートボードと言う競技に心が動いた。初めはこの競技にはストリートとパークの二種類がある事さえ知らなかった。今回初めて採用された新種目だそうだ。ストリートとかパークという都会的な言葉に興味がわいた。身近な日常から生まれたのだろう。今回、初めてじっと観戦した。あっという間、わずか45秒間で採点される。それが心よい。ひとり演技なのもさっぱりしている。たちまち勝敗がつく。短気な私にはうってつけである。

初代王者になった金メダリスト堀米雄斗さんは、なんと隣の江東区出身だ。私の散歩エリヤである大島小松川公園が練習の場であったと知って、一気に親近感が生まれファンになってしまった。ところが女子の部ではわずか13歳と16歳の少女が金と銅のメダリストになった。選手たちは若い。幼いとさえいえる。その辺の街角で遊んでいるような普段着の雰囲気が伝わってくる。ほほえましい。さらにパークも女子の部では日本の少女たち2人がメダリストになった。もちろんこれだけの成績を収めるためには想像を絶する練習や努力があったろう。幼いだけに親やきょうだいや周囲の人たちの支援が大きな力になっているだろう。

それにしても、この大会では若者の力が爆発した。この強烈なエネルギーを頼もしく思う。
明日一日で終了の幕が下りる。高齢者にはわずか3年後の大会も視野には入らない。賛否両論かまびすしい今大会であるが、ここまで来れば一睡の「真夏の夜の夢」と言えようか。

2021年08月07日