老いのいりまい 寄稿者 色えんぴつ

「入舞」という言葉を知った。

コラムで教えてくれたのはある老引退牧師。かなり前に引退されたそうだが、かつて赴任していた教会の礼拝説教を頼まれ、これが最後かと務められた。その時に使っていた言葉である。

入舞とは能のことばで、「舞人が、舞い終わって舞台から降りて引き上げるときに、もう一度舞台に戻って、名残を惜しむかのように一舞、舞ってから引き上げる」意だそうだ。特に「老いの入舞」とは最後に花を咲かせるようなときに使う言葉らしい。

老いの入舞を舞う年になってきたという人は多い。私も社会での生活はもうかなり前に終わったが、今も何かしらに携わっている。私より一回り年上の友人が小学校から特別授業を頼まれた。戦争を体験している世代が少なくなった今、貴重な語り部である。

「もうこんな年になって、子供たちの前で話せるかしら」

人前で話すことになれている彼女にとって「特別授業」は慣れ親しんだものである。しかし寄る年波には勝てない。言葉が出てこなかったらという恐怖、みんなの前で転んだらという妄想は、絶えず彼女を苦しめる。

「でも、これは神様が用意してくださった機会でしょ。だったら神さまが守り導いてくださるわよ」私は気楽に励ます。

そうなのだ。思いもかけず老いの入舞の時を神様は用意してくださった。それは全て神様のご計画の中にある。

2021年08月02日