真夏の散歩   寄稿者  旅女

コロナ禍で外出が危険になり、自粛生活が始まってから、
家の近くを一人で歩くことを覚えました。今では日課の欠
かせないプロブラムになり、よほど天候が悪くない限りは
実行してきました。しかしここにきてこの暑さ。いくらな
んでも無理です。熱中症のリスクはひどく現実的です。た
いてい午後一番の時間帯に組み込んでいましたから。

梅雨明け以来、午後6時を期して出かけることにしました。
それでも日陰を選び、日傘を持って、できるだけ薄着で身を
装えます。何しろマスクは離せませんので。ところが意外な
発見がありました。同じ道なのに昼間と夕方ではまるで雰囲気が違うのです。

ちょうど日没に差し掛かるころ、空は天使たちのオーケストラの舞台のようです。作曲者も指揮者も神様ご自身に違いありません。荘厳な天の交響曲が、私の心の耳に響き渡るのです。また、時には大空のカンバスに神様ご自身が大きな筆を振るって絵を描かれているようにも思えます。その筆使い、色使いに見惚れます。淡いパープルやピンクや紅色の抽象画ですが、どんなメッセージが込められているのかと歩くのも忘れて上を見つめてしまいます。

薄闇が迫ってくると、川べりには10m間隔で設置された灯籠にいっせいに明かりが付きます。その瞬間がドラマチックです。最初出会った時はハッとしてくぎ付けになりました。いつまでも目の奥に焼き付いていて、もう一度出会いたくて、帰途の足を止めて待つこともありました。点火タイムはどうやら自動的に日没の時刻に合わせて設置されているようです。

夏至からすでに一か月。日の出は遅く、日の入りは早くなっています。暑さは真っ盛り、当分続くでしょうが、天体は正確に季節を進めています。早咲きの河津桜の葉がすでに黄葉し、葉を落としているのを見て驚きました。夕方の散歩もあとひと月もすれば、午後一番のプログラムに戻せるでしょう。コロナ禍と猛暑の二重苦に攻められますが、主のあわれみをいただいて霊的にも身体的にもほどよいバランスを保ちたいと祈ることです。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
第二コリント4・18

2021年07月22日