モンゴルと赤羽末吉 寄稿者 ルピナス

今年は赤羽末吉生誕111年ということで、銀座の教文館ナルニア国や岩崎ちひろ美術館などで原画展をやっている。何しろその宣伝のポスターが『スーホの白い馬』の有名な表紙絵だから目を引く。コロナ禍のため遠くには行かれないが、近くの図書館の講演会に行ったりしてモンゴルの世界に触れた。

もう30年以上前になるだろうか。友人がモンゴルの大学で日本語を教えることになり、1年間かの地にて過ごした。何か協力することがあったら応援すると伝えていたところ、彼女からモンゴル学生との手紙の交換を頼まれた。日本語を学ぶ学生たちに日本人と手紙のやり取りをさせたいという。それはいいことだと数人の日本人が相手をすることとなった。

私のところに男子と女子の学生がたどたどしい日本語で手紙を送ってきた。それはそれはまじめな手紙だった。当時日本はバブルで若者は遊ぶことに夢中だった。親や伝統を大事にしたいという昔の日本の若者のような文面に新鮮なものを感じた。

一人が「私たちの宝」として書いてきたのが馬頭琴の物語だった。『スーホの白い馬』の原型である。モンゴルの誰もが知る話とあった。どのように返事を書いたか覚えていない。

「赤羽末吉の旅と絵本」の講演は面白かった。彼はただ描くのではなく起承転結を考えて絵を構成していたという話が印象的だった。起承転結、私たちの文章道と同じではないか。赤羽末吉の絵が身近に感じられた。国際アンデルセン賞の画家に恐れ多いかな。

2021年07月14日