「知の巨人」 立花隆氏 死す  寄稿者 草枕

この「巨人」に近づいたことはない。膨大な著書に親しんだこともない。著書は私の興味とは重ならないので、聞こえてくる話題に片耳を傾ける程度であった。しかしいつもすごい人もいるものだと、尊敬の念を抱いていた。年齢の近いことが親近感を生んだ。

立花氏が以前にがんを患ったとき、患部除去の手術を受けたが、そのあとの治療は一切断ったと聞いた。なるほどとひどく納得した。それをよく覚えている。その後、「脳死」、「臨死体験」など、人の生死に関する著作を立て続けに出した。もともと哲学を勉強した人だから、人間の生や死については深い思い入れがあったと思う。

しかし、意外な分野にも研究を深め、そのたびに本を書き話題をさらった。立花氏は一冊の本を書くために300冊の本を読むという。気の遠くなるような話ではないか。少なくとも私には・・・。氏は自分のことを「勉強屋」と称した。作家とか哲学者とかライターとは言わない。敢えて言えば「勉強屋」だと。

人は、「たぐいまれな好奇心の人」という。好奇心と勉強とは車の両輪、物の裏と表だろうと思う。しかし、好奇心を抱くことがあっても、きちんと車を動かすほどの勉強ができるだろうか。300冊の本を読み、記憶し、咀嚼し、消化し、自分の血肉にして、一冊の本として再生させるなど、まねのできることではない。確かに「知の巨人」にまちがいない。

氏は「人間の脳はすごい、鍛えれば鍛えるほど、回転する」と言われた。そこには老いとか老化への言及はない。「鍛えれば鍛えるほど・・・」とは、氏の実体験なのか、なんと確信に満ちた力強いことばだろう。励まされる気もするが、立花氏だからでしょうとつぶやきたくもなる。

「死」についてもたくさん書いているが、結論はないらしい。「わからないということがわかったんです。『分かりません』っていう言葉をあっさりと自信を持って言えます」が、結論のようだ。

氏の家庭はクリスチャンだった。特にお母様が羽仁もと子に信奉しておられたそうだ。氏は「こびることは、生き方として恥だと教え込まれた。母に『肉体を殺すことが出来ても、魂を殺すことが出来ない者を恐れるな』とも教えられた。ローマの権力を恐れる弟子たちにイエスが述べた言葉で、世俗権力を恐れるな、神のみを恐れよということだ」と言う。
氏の考え方の根底には母の教えが色濃く強固に堆積していたのではないかと、私は思う。

2021年06月26日