この文字を見ない日はないぐらいはやっている。「持続可能な開発目標」とかいうが、私たち昭和の人間には当たり前の内容である。
はじめこの言葉に接したとき何を意味するか、全く分からなかった。若い人からの年賀状に「このことに積極的に取り組むことになった」とあったのである。SDGs、それなあにと思ったものだ。今や取り組みの実践例があちこちで報道されるようになった。
消費が美徳、使い捨て、という時代もあった。何より便利と速さがもてはやされた。その恩恵を受ける企業がたくさんあった。
だが私は戦前の教育を受けた親に質素と堅実を美徳とするよう育てられた。時にそれはケチとも見えた。貧乏くさくも見えた。
吉野弘の詩に「冬の陽ざしの」という作品がある。私が好きな詩だ。
瓶やコップとして使われていたものが海辺で捨てられ、波にもまれて美しく磨かれたガラスのかけらになった。入れ物としての当初の役目はもう終わったが、第二の人を喜ばせる役目が待っていたのである。私は子育てを終え、親を送り、社会の仕事も終わった。これからは第二のガラスとして磨かれて生きたいと願っている。
紙や布はよく再利用してから処分する。これも一つのSDGsではないだろうか。