私のコーヒー物語  寄稿者 道草

表通りに向かって歩いていた。
あと50mほどのところで道が二つ
に分かれている。ふと、細いほうを
選んでみた。両側は戸建ての家がく
っつき合って並んでいる。

その中に3段ばかり階段を付け、入
り口を広く開けたお店があった。
ガラス張りのドアーの上に「自家焙
煎 〇〇珈琲店」と大きな看板が見えた。不釣り合いな場所に、不釣り合いなお店だ。歩き疲れていたこともあって、立ち止まってしまった。

ドアー越しのすぐそばのスペースには左右に丸テーブルが置いてあり、イヤホンを耳に入れた若い女性がスマホと書類を見ていた。そっと覗くと奥はカウンターになっていて、手前に焙煎機らしいマシーンが見上げるように設置されていた。私の心は動き出していた。ちょうど買わなければと思っていたところだから、ちょっと冒険してみようかな。

ちなみに私はコーヒー通ではない。ごくごく普通並みで満足している。特別のお店で特別の銘柄を買うなんて、私の日常ではありえない。思いがけなくこんな気持ちになったのは、もしかしたら続くコロナ禍ストレスで、なにか新しい風がほしかったのかもしれない。

丸テーブルの女性が気付いたらしく、無言で首を奥に向けて合図を送ってくれた。それが私の意を強くした。奥へ入っていった。細長いカウンターの一番奥に男性が腰かけて小さなペーパーに目を落としていた。突き当たりは一面ガラスで、そとに緑の植物が見え、室内にほんのりと明るさを送っていた。

男性はかなり年配と見受けた。おそらく店主であろう。その風貌はコーヒー専門店のマスターらしくなかった、少なくとも私の描くイメージとはかけ離れていた。キリっと黒いエプロンなどつけていてほしかった。さすがにマスクはしていたが。

「あの・・・お豆だけですが、いただけますか」
「いいですよ」
「ペーパーですので、それに合うように挽いていただけますか」
「何がいいですか」
「おすすめは何でしょうか。それを、100グラムだけお願いします」

男性は奥からカウンター内に入った。私に腰掛けるように勧める。私には躊躇がある。こんな時期に珈琲屋と言えども飲食店に入り、見知らぬ人と会話し、しかも座席に座るとは、最近の私の行動倫理にはないことだから。

店主は氷を入れたお水をテーブルに置いた。氷が光っていた。歩き疲れて喉の奥までカサカサしていたところだ。大いなる誘惑!。「人の生きるは水によるにあらず・・・」などと、主イエスにはきかせられない不謹慎を思いながらも、一杯の水に我を忘れた。さらに、私は「エバ」かも、「エソウ」かもと、我ながら欲望への弱さと感染防御の甘さに呆れたが、不器用とも見える店主の無言の行為に甘えた。

「お店、昔からありましたか・・・」「いえ、20年ほどになります」店主は手作業をすすめながら、答えた。
「退職後、始めました。以前はしもた家でした」珈琲店を開くことがこの男性の第二の人生の夢だったのか。サラリーマン時代からずっと温めてきた希望だったのか。実現できてよかったじゃないの・・・。

「この珈琲は少し粗く挽いてありますから、中挽きの二倍の量を使ってください。沸騰したお湯を90度くらいにしてから、ゆっくりと粉が浸るくらい注いで、そのあと、一分はまってください。胸に手を当てて、飲む相手がおいしく感じるように念じてください」
店主は噛みしめるようにゆっくりとのたもうた。私はすかさず「お祈りするのですね」と言ってしまったが。

店主はもっと話したいようだった。身の動きにどことなくぎごちなさがある。ふと、この20年の間に大きな病気でもしたのではないか、体に不自由が残っているのではないかと想像をたくましくしてみた。店主の珈琲への持論をもっと訊いてみたい気もしたがコロナ禍である、マスク越しであろうと長居は禁物だ。私は100グラムの袋を抱えると急ぎ足で店を後にした。

丸テーブルの若い女性はまだ悠々と座り込んでいる。他にだれもいないから安心しているのだろうか。常連なのだろうか。近所のお年寄りならまだわかるけど。自宅までの道々、「〇〇珈琲店」が頭から離れなかった。

ところで、本命のコーヒーであるが、ひどく軽く淡くあっさりしていて、期待した深みや複雑さは味わえなかった。もともとコロナ禍の衝動買いだから、今後通い詰めることは毛頭ない。しかし、気になるお店として覚えておこう。今度は横目で見ながら素通りしてみようか。ちょっとお体の不自由な店主さんがお元気だといいなあ、お客さんがいて繁盛しているといいなあと思う。

2021年05月21日