主イエスの十字架を偲んで  寄稿者  緑風

毎年必ず巡ってくるイースターとクリスマスを、どれほど深く自分の救いのための恵みとして実感しているかと、愚かにもあわてて心に問うありさまである。私にとって65回目のイースターなのだ。毎年、毎年というけれどたかが65回なのだ。何千、何万ではないのだ。マンネリに陥る数字ではない。慣れっこになるほどの数ではない。ちなみに一日3回の食事は一年では1100回程にもなる。食いしん坊のせいか一回だっておろそかにしたことはない。比較の秤に乗せるのはあまりにも極端で異質だろうけど、反省の材料として自分に投げかけてみた。

コロナ禍が続いていて、教会として特別なプランは立てられないでいる。私の教会は通常の礼拝は対面で行っているが音声と映像配信もしている。礼拝と祈祷会以外の活動は休止している。イースターでは恒例の卵も配らない。祝会はクリスマスさえなかった。礼拝では特別賛美もない。会衆賛美もマスクの下でハミングするだけである。苦難のイースターである。

イエスさまは朝の9時から午後3時まで十字架の上に晒され苦しまれた。ゲッセマネの園で捕らえられてから、ゴルゴタの丘までのお苦しみを加えれば何時間になるのだろうか。

夕食後、讃美歌を開いて受難の歌を歌った。いくつもいくつも歌った。貧しい信仰者のせめてもの捧げものとして歌った。賛美の中におられる主と出会うことができた。主は待っていてくださったと知って胸が熱くなった。


 

 

 

讃美歌257番
十字架の上に ほふられたまいし
こよなくきよき み神のこひつじ
わがため悩みを しのびたまいし
みめぐみげにもとうとし

讃美歌133番
夜はふけわたりぬ ゲッセマネの園に
なやめるイエス君 ひとり祈りたもう

讃美歌136番
血しおしたたる 主のみかしら
とげにさされし 主のみかしら
なやみとはじに やつれし主を
われはかしこみ きみとあおぐ

讃美歌138番
ああ主は誰のため 世にくだりてかくまでなやみを うけたまえる

讃美歌139番
うつりゆく世にも かわらで立てる
主の十字架にこそ われはほこらめ

讃美歌142番
さかえの主イエスの 十字架をあおげば
世のとみほまれは 塵にぞひとしき

2021年04月03日